・・・たとえ生きていてももう再び会う事があるかどうかもわからず、通り一ぺんの年賀や暑中見舞い以外に交通もない人は、結局は思い出の国の人々であるにもかかわらず、その死のしらせはやはり桐の一葉のさびしさをもつものである。 雑記帳の終わりのページに・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 北氷洋の氷の割れる音は近づく運命の秋を警告する桐の一葉の軒を打つ音のようにも思われるのである。 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・ 米国の排日法は、桐の一葉のようなものである。うっかりしていると、今に世界の方々の隅から秋風が来る。 十二 日本人のした学芸上の仕事で、相当に立派なものがあっても、日本人の間では、その価値は容易に認められ・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 散るべくしてわずかに散らないでいた桐の一葉が、風のない静かな夕べにおのずから枝を離れて落ちたような心持ちがした。自分の魂の一部分がもろく欠け落ちて永久に見失われたというような心持ちもした。 亮の死の報知が伝わった時に、F町の知友た・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・明治時代の吉原とその附近の町との情景は、一葉女史の『たけくらべ』、広津柳浪の『今戸心中』、泉鏡花の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した。 わたくしが弱冠の頃、初めて吉原の遊里を見に行ったのは明治三十年の春であった。『たけく・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 唖々子は弱冠の頃式亭三馬の作と斎藤緑雨の文とを愛読し、他日二家にも劣らざる諷刺家たらんことを期していた人で、他人の文を見てその病弊を指してきするには頗る妙を得ていた。一葉女史の『たけくらべ』には「ぞかし」という語が幾個あるかと数え出し・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・それ以来樋口一葉をはじめ、明治大正を通じて今日までには幾人か、相当の文学的業績をもつ婦人作家がある。が、日本の民主的な文学の流れは、昭和のはじめ世界の民主主義の前進につれて歴史的に高まり、プロレタリア文学の誕生を見た。その当時、その流れの中・・・ 宮本百合子 「明日咲く花」
・・・明治文学の中期、樋口一葉や紅葉その他の作品に、「もとは、れっきとした士族」という言葉が不思議と思われずに使われている。この身分感は、こんにち肉体文学はじめ世相のいたるところにある斜陽族趣味にまで投影して来ているのである。 日本の大学、な・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・樋口一葉の小説の中にあるにふさわしい風景だと思う。 こういう時代錯誤的な切ない風景を街に現出した根源には戦争による国民経済の破壊があり、そこに君臨した制服万能の問題があることをわたしたちは決して見のがしてはならないと思う。制服というもの・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・おゆきの住居や習慣は、樋口一葉が「にごりえ」などでかいた雰囲気の中のものだった。そして、鏑木清方の插画の風情のものだった。そういうことがわかったのは、ゆきのおまはんの由来を理解したよりもあとのことだし、「ねぶか」よりもあとのことであった。・・・ 宮本百合子 「菊人形」
出典:青空文庫