・・・そのくせ互に一言も物は言わない。 ある日の事である。ちょうど土曜日で雨が降っていた。ツァウォツキイは今一人の破落戸とヘルミイネンウェヒの裏の溝端で骨牌をしていた。そのうち暗くなって骨牌が見分けられないようになった。それに雨に濡れて骨牌の・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・の後に隠れてなるたけ早く逃げるがいいよ」と兜の緒を緊めてくれる母親が涙を噛み交ぜて忠告する。ても耳の底に残るように懐かしい声、目の奥に止まるほどに眤しい顔をば「さようならば」の一言で聞き捨て、見捨て、さて陣鉦や太鼓に急き立てられて修羅の街へ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ ついでに宇野浩二氏の『子の来歴』についても一言生活としての例を挙げるとすると、この作も私は人々のいう如く感心をし、見上げた作品だと思ったが、しかし、この作品には、もっとも大切な親心のびくびくした感情というものは少しも出ていないように思・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・そうは思ったが一番しまいに云った一言で、その不気味な処は無くなってしまった。兎に角若い婦人が傍にいるのである。別品かもしれない。この退屈な待つ間を面白く過ごすような事でもあれば好いと反謀気も出て来るのである。 フィンクは思わず八の字髭を・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・、心に畳まってる思いの数々が胸に波を打たせて、僕をジット抱〆ようとして、モウそれも叶わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・とか、「上下万民に対し、一言半句もうそを云はず、かりそめにもありのまゝたるべし」とかという場合の、ありのままという言葉に現わされた気持ちがそれである。虚飾に流れていた前代の因襲的な気風に対して、ここには実力の上に立つあけすけの態度がある。戦・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫