・・・ このとき疾く救護のために一躍して馳せ来たれる、八田巡査を見るよりも、「義さん」と呼吸せわしく、お香は一声呼び懸けて、巡査の胸に額を埋めわれをも人をも忘れしごとく、ひしとばかりに縋り着きぬ。蔦をその身に絡めたるまま枯木は冷然として答・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・竹馬の友の万年博士は一躍専門学務局長という勅任官に跳上って肩で風を切る勢いであったから、公務も忙がしかったろうが、二人の間に何か衝突もあったらしく、緑雨の汚ない下宿屋には万年博士の姿が余り見えなかった。何かにつけて緑雨は万年博士を罵って、愚・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・戦争を予期しても日本が大勝利を得て一躍世界の列強に伍すようになると想像したものは一人も無かった。それを反対にいつかは列強の餌食となって日本全国が焦土となると想像したものは頗る多かった。内地雑居となった暁は向う三軒両隣が尽く欧米人となって土地・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・が、露伴の名をして一躍芸壇の王座を争うまでに重からしめたのは『風流仏』であった。『露団々』は露伴の作才の侮りがたいのを認めしめたが、奇想天来の意表外の構作が読者を煙に巻いて迷眩酔倒せしめたので、私の如きも読まない前に美妙や学海翁から散々褒め・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・そのひとの本が、どんな偉い小説家の本よりも、はるかに多く売れて、一躍、大金持になったという噂を、柏木の叔父さんが、まるで御自分が大金持にでもなったみたいに得意顔で家へやって来られて、母に話して聞かせたので、母は、また興奮して、和子だって書け・・・ 太宰治 「千代女」
・・・田舎から出て来たばかりの田吾作が一躍して帝都の檜舞台の立て役者になったようなものである。そうして物理学者としての最高の栄冠が自然にこの東洋学者の頭上を飾ることになってしまった。思うにこの人もやはり少し変わった人である。多数の人の血眼になって・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・を読んで学者たちが蚤の一躍は蚤の何歩に当たるかを論ずるところなどが、今の学者とちっとも変わらない生き写しであることをおもしろいと思うのであった。「六国史」を読んでいると現代に起こっていると全く同じことがただ少しばかりちがった名前の着物を着て・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・かし世界の広い学界の中にはまれに変わり種の人間もいて、流行の問題などには目もくれず、自分の思うままに裸の自然に対面して真なるものの探究に没頭する人もあるから、いつの日にかこれらの物理学圏外の物理現象が一躍して中央壇上に幅をきかすことがないと・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・そうすると、ちょうど荷物の包み紙になっていた反古同様の歌麿や広重が一躍高貴な美術品に変化したと同様の現象を呈するかもしれない。ただ困った事には、目で見ればわかる絵画とちがって、「国語」を要素とする連句がほんとうに西洋人に「わかる」見込みはな・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
今日の一般の人を心から考えさせた事件だと思います。あそこに預けられた子供の率をみると去年は一躍二百余名に上り、そのうち八〇パーセントが殺されました。昨年このようにあずけられる子供の数が増えて殺された率も多かったということと・・・ 宮本百合子 「“生れた権利”をうばうな」
出典:青空文庫