・・・そんなことで、自分はその日酒を飲んではいたが、いくらかヤケくそな気持から、上野駅まで送ってきた洗いざらしの単衣着たきりのおせいを郷里につれて行って、謝罪的な気持から妻に会わせたりしたのだが、その結果がいっそうおもしろくなかった。弘前の菩提寺・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・じつは私は昨日ようようのことで、古着屋から洗い晒しの紺絣の単衣を買った。そして久しぶりで斬髪した。それで今日会費の調達――と出かけたところなのだ。「書けたかね?」と、私は原口の側に坐って、訊いた。「一つ短いものができたんだがね……そ・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ ある夜のことに藤吉が参りまして、洗濯物があるなら嚊に洗わせるから出せと申しますから、遠慮なく単衣と襦袢を出しました。そう致しますとそのあくる日の夕方に大工の女房が自分で洗濯物を持って参りまして、これだからお神さんを早くお持ちなさい、女・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・お源は単直前借の金のことを訊いた。磯は黙って腹掛から財布を出してお源に渡した。お源は中を査めて「たった二円」「ああ」「二円ばかし仕方が無いじゃアないか。どうせ前借するんだもの五円も借りて来れば可いのに」「だって貸さなきゃ仕方・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・とか、農村を都市に対立させて、農民は、農民独自の力によって解放され得るが如く考えている無政府主義的な単農主義者等の立場とは、最初の出発からその方向を異にしていた。農民生活を題材としても、その文学のねらう、主要なポイントは、プロレタリア文学が・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・禽も啼かざる山間の物静かなるが中なれば、その声谿に応え雲に響きて岩にも侵み入らんばかりなりしが、この音の知らせにそれと心得てなるべし、筒袖の単衣着て藁草履穿きたる農民の婦とおぼしきが、鎌を手にせしまま那処よりか知らず我らが前に現れ出でければ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・汚れた手拭で頬冠りをして、大人のような藍の細かい縞物の筒袖単衣の裙短なのの汚れかえっているのを着て、細い手脚の渋紙色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく蹲んでいるのであった。東京者ではない、田舎の此辺の、しかも余り宜い家でない家の児であると・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・その中には洗い晒した飛白の単衣だの、中古で買求めて来た袴などがある。それでも母が旅の仕度だと言って、根気に洗濯したり、縫い返したりしてくれたものだ。比佐の教えに行く学校には沢山亜米利加人の教師も居て、皆な揃った服装をして出掛けて来る。なにが・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・その母さんが亡くなる時には、人のからだに差したり引いたりする潮が三枚も四枚もの母さんの単衣を雫のようにした。それほど恐ろしい勢いで母さんから引いて行った潮が――十五年の後になって――あの母さんと生命の取りかえっこをしたような人形娘に差して来・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・唐桟の単衣を一まい呉服屋さんにたのんで、こしらえてもらいました。鳶の者だか、ばくち打ちだか、お店ものだか、わけのわからぬ服装になってしまいました。統一が無いのです。とにかく、芝居に出て来る人物の印象を与えるような服装だったら、少年はそれで満・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
出典:青空文庫