・・・ 妻は慳貪にこういって、懐から塩煎餅を三枚出して、ぽりぽりと噛みくだいては赤坊の口にあてがった。「俺らがにも越せ」 いきなり仁右衛門が猿臂を延ばして残りを奪い取ろうとした。二人は黙ったままで本気に争った。食べるものといっては三枚・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・中には随分手前味噌の講釈をしたり、己惚半分の苦辛談を吹聴したりするものもあったが、読んで見ると物になりそうなは十に一つとないから大抵は最初の二、三枚も拾読みして放たらかすのが常であった。が、その日の書生は風采態度が一と癖あり気な上に、キビキ・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・何をそんなに苦労するかというと、僕は今まで簡潔に書く工夫ばかししていたので一回三枚という分量には困らぬはずだったのに、どうしても一回四枚ほしい。十行を一行に縮める今までの工夫が、こんどは一行を十行に書く努力に変って来たのだ。僕は今までの十行・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・ポケットから二三枚の二ツに折った葉書と共に、写真を引っぱり出した時、伍長は、「この写真を何と云って呉れたい?」とへへら笑うように云った。「何も云いやしません。」「こいつにでもなか/\金を入れとるだろう。……偽せ札でもこしらえんけ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・その訪問着だけでなく、その後も着物が二枚三枚、箪笥から消えて行くのだ。節子は、女の子である。着物を、皮膚と同様に愛惜している。その着物が、すっと姿を消しているのを発見する度毎に、肋骨を一本失ったみたいな堪えがたい心細さを覚える。生きて甲斐な・・・ 太宰治 「花火」
・・・菊屋橋のかけられた新堀の流れ。三枚橋のかけられていた御徒町の忍川の如き溝渠である。 そのころ人の家をたずね歩むに当って、番地よりも橋の名をたよりにして行く方が、その処を知るにはかえって迷うおそれがなかった。しかしこれら市中の溝渠は大かた・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・明後日が初酉の十一月八日、今年はやや温暖く小袖を三枚重襲るほどにもないが、夜が深けてはさすがに初冬の寒気が感じられる。少時前報ッたのは、角海老の大時計の十二時である。京町には素見客の影も跡を絶ち、角町には夜を警めの鉄棒の音も聞える。・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・その後には二枚折の屏風に、今は大方故人となった役者や芸人の改名披露やおさらいの摺物を張った中に、田之助半四郎なぞの死絵二、三枚をも交ぜてある。彼が殊更に、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴の音凉しき夏の夕よりも、虫の音冴ゆる夜長よりも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 明後日が初酉の十一月八日、今年はやや温暖かく小袖を三枚重襲るほどにもないが、夜が深けてはさすがに初冬の寒気が身に浸みる。 少時前報ッたのは、角海老の大時計の十二時である。京町には素見客の影も跡を絶ち、角町には夜を警めの鉄棒の音も聞・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・殊に既往一ヶ月余り、地べたの上へ黍稈を敷いて寐たり、石の上、板の上へ毛布一枚で寐たりという境涯であった者が、俄に、蒲団や藁蒲団の二、三枚も重ねた寐台の上に寐た時は、まるで極楽へ来たような心持で、これなら死んでも善いと思うた。しかし入院後一日・・・ 正岡子規 「病」
出典:青空文庫