・・・二人づれで私のところにやって来ると、ひとりは、もっぱら華やかに愚問を連発して私にからかわれても恐悦の態で、そうして私の答弁は上の空で聞き流し、ただひたすら一座を気まずくしないように努力して、それからもうひとりは、少し暗いところに坐って黙って・・・ 太宰治 「散華」
・・・ふたりは、お互いに、ふたり切りになりたくてたまらないのに、でも、それを相手に見破られるのが羞しいので、空の蒼さ、紅葉のはかなさ、美しさ、空気の清浄、社会の混沌、正直者は馬鹿を見る、等という事を、すべて上の空で語り合い、お弁当はわけ合って食べ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・私はいま、とっても面白い小説を書きかけているので、なかば上の空で、対談していました。おゆるし下さい。 太宰治 「「晩年」に就いて」
一 稲妻 晴れた夜、地平線上の空が光るのをいう。ドイツではこれを Wetterleuchten という。虚子の句に「一角に稲妻光る星月夜」とある。『説文』に曰く電は陰陽の激曜するな・・・ 寺田寅彦 「歳時記新註」
・・・天の川が大分まわり大熊星がチカチカまたたき、それから東の山脈の上の空はぼおっと古めかしい黄金いろに明るくなりました。 前の汽車と停車場で交換したのでしょうか、こんどは南の方へごとごと走る音がしました。何だか車のひびきが大へん遅く貨物列車・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・私はファゼーロのことを考えながら上の空で答えました。「ここへ署名したまえ。」 わたくしは書類のはじへ書きました。もうどうしても心配で心配でたまらなくなったのです。「では帰ってよろしい。明日また呼ぶから。」警部は云いました。 ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ かんばしくきらびやかな、秋の一日は暮れ、露は落ち星はめぐり、そしてあのまなづるが、三つの花の上の空をだまって飛んで過ぎました。「まなづるさん。あたし今夜どう見えて?」「さあ、大したもんですね。けれどももう大分くらいからな。」・・・ 宮沢賢治 「まなづるとダァリヤ」
・・・ばあや、ばあやと呼ばれる婆さんも――恐らく送りに来ている女の母親なのだろうが、その若い女の方も、殆ど絶えず喋る癖に、互にまるで上の空のようであった。反射的にひょいひょいいろいろ云う。ちっとも語調に真情がない、―― 軈て発車した。 私・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・そう云われても、子供たちは職人から目をはなさず上の空で、もっと、とねばった。子供たちは、いつも随分長い間、立って見ているのだったが、職人同士がその間に喋るのを見たことがなかった。職人はみんないそがしそうだった。体のふりかた、道具をひっくりか・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・開け放した縁側から、遠くの山々や、山々の上の空の雲が輝いているのまで一眸に眺められた。静かな、闊やかな、充実した自然がかっちり日本的な木枠に嵌められて由子の前にある。全く、杉森をのせ、カーバイト会社の屋根の一部を見せ、遠く遠くとひろがる田舎・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
出典:青空文庫