・・・しかし、私は、兄の彫刻も絵も、また創作も、あまり上手だとは思っていなかった。絵なども、ただ高価ないい絵具を使っているというだけで、他に感服すべきところを発見できなかった。その兄が、その夏に、東京の同人雑誌なるものを、三十種類くらい持って来て・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・この店の給仕頭は多年文士に交際しているので、人物の鑑識が上手になって、まだ鬚の生えない高等学校の生徒を相して、「あなたはきっと晩年のギョオテのような爛熟した作をお出しになる」なんぞと云うのだが、この給仕頭の炬の如き眼光を以て見ても、チルナウ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・計算は上手でなくても考え方が非常に巧妙であった。ある時彼の伯父に当る人で、工業技師をしているヤーコブ・アインシュタインに、代数学とは一体どんなものかと質問した事があった。その時に伯父さんが「代数というのは、あれは不精もののずるい計算術である・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・そうして水練の上手な兵士を三十人選抜して、秋山大尉を捜させようと云うんだ。その人選のなかへ、私のとこの忰も入ったのさね。」 吉兵衛さんの顔が、紅く火照って来た。そして口にする間もない煙管を持ったまま、火鉢の前に立膝をしていた。鼻の下にす・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ と言って、代ってこんにゃく桶をかつぐこともあったが、かつぐのはやっぱり私が上手で、林は百メートルを歩くと、すぐ肩が痛いと言ってやめた。 しかし林が一緒にこんにゃく売りについてきてくれるので、どんなに私は肩身がひろくなったろう。第一・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・西の方、中洲の岸を顧みれば、箱崎川の入口が見え、東の方、深川の岸を望むと、遥か川しもには油堀の口にかかった下の橋と、近く仙台堀にかかった上の橋が見え、また上手には万年橋が小名木川の川口にかかっている。これら両岸の運河にはさまざまな運送船が輻・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・だから芸術上の上手下手を云う余地があったのです。あすこはあなたがたも旨いと云った。私も旨いと思います。ただし、あすこの芸術は内容を発現するための芸術でしょう。 第三の、内容とは比較的関係のない芸術になると、妙ですな。内容を賞翫して好いん・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・写して意形を全備するものは上手の作なり。意形を全備して活たる如きものは名人の作なり。蓋し意の有無と其発達の功拙とを察し、之を論理に考え之を事実に徴し、以て小説の直段を定むるは是れ批評家の当に力むべき所たり。・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・それでもわたくしは主人が渡世上手で、家業に勉強して、わたくし一人を守っていてくれるのをせめてもの慰めにいたしていました。 しかしそれはわたくしがひどく騙されていたのでございます。ある偶然の出来事から、わたくしはそれを発見いたしました。夫・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・絵が上手だといいんだけれども僕は絵は描けないから覚えて行ってみんな話すのだ。風は寒いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔わない。ほかにも誰も酔ったものはない。 *いるかの群が船の横を通っている。いちばんはじめに見附・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫