・・・両岸の家々はもう、たそがれの鼠色に統一されて、その所々には障子にうつるともしびの光さえ黄色く靄の中に浮んでいる。上げ潮につれて灰色の帆を半ば張った伝馬船が一艘、二艘とまれに川を上って来るが、どの船もひっそりと静まって、舵を執る人の有無さえも・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ちょうど日の暮の上げ潮だったが、仕合せとあすこにもやっていた、石船の船頭が見つけてね。さあ、御客様だ、土左衛門だと云う騒ぎで、早速橋詰の交番へ届けたんだろう。僕が通りかかった時にゃ、もう巡査が来ていたが、人ごみの後から覗いて見ると、上げたば・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・水の落ちるのは、干潮の間僅かの時間であるから、雨の強い時には、降った水の半分も落ちきらぬ内に、上げ潮の刻限になってしまう。上げ潮で河水が多少水口から突上るところへ更に雨が強ければ、立ちしか間にこの一区劃内に湛えてしまう。自分は水の心配をする・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・図は上げ潮の時の有様ですから、潮流はDの方からABを通ってCの方へ流れて行きます。ABとCの間に波形の模様を描いたのは流れの早い部分の有様を示したものです。ABの辺では流れの早さは最も盛んな時で一時間十海里くらい、Cの辺でもあまりこれに劣り・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・これは盛運の上げ潮に乗った緊張の過ぎた結果であったと思われる。深くかんがみるべきである。 近ごろスペインの舞姫テレジーナの舞踊を見た。これも手首の踊りであるように思われた。そうしてそのあまりに不自然に強調された手首のアクセントが自分には・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・ 道は上げ潮の運河の上の橋にかかっていた。私は橋の上に、行李を下してその上に腰をかけた。 運河には浚渫船が腰を据えていた。浚渫船のデッキには、石油缶の七輪から石炭の煙が、いきなり風に吹き飛ばされて、下の方の穴からペロペロ、赤い焔が舌・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫