・・・唯、科学隆盛以来、哲学は科学の下婢となったという感なきを得ない。輓近に至って、単に認識論的となり、更に実用主義的ともなった。哲学は哲学自身の問題を失ったかと思われるのである。 私はデカルト哲学へ返れというのではない。唯、なお一度デカ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・家事を司どる婦人には自から財産使用の権利あり、一品一物も随意にす可らずとは、取りも直さず内君は家の下婢なりと言うに等し。都て我輩の反対する所なり。一 女は我親の家をば続ず、舅姑の跡を継ぐ故に、我親よりもを大切に思ひ孝行を為べし。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 古今、支那・日本の風俗を見るに、一男子にて数多の婦人を妻妾にし、婦人を取扱うこと下婢の如く、また罪人の如くして、かつてこれを恥ずる色なし。浅ましきことならずや。一家の主人、その妻を軽蔑すれば、その子これに傚て母を侮り、その教を重んぜず・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・ 何についても、斯様な、安らかな協力があると思います。下婢を雇わない二人ぎりの家庭では、必ず妻が独りで食事の準備をすべきものとは思っていません。一緒に、何でも二人のために都合よくと考えて行動します。故に、或る場合には、大局に於て結果のよ・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
出典:青空文庫