・・・頭を水面に、すっと高く出し、にこにこ笑いながら、わあ寒い、寒いなあ、と言い私のほうを振り向き振り向き、みるみる下流に押し流されて行った。私は、わけもわからず走り出した。大事件だ。あれは、溺死するにきまっている。私は、泳げないが、でも、見てい・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 刀根の下流の描写は、――大越から中田までの間の描写は想像でやったので、後に行ってみて、ひどく違っているのを発見して、惜しいことをしたと思った。やはり、写生でなければだめだと思った。これに引きかえて、発戸河岸の松原あたりは、実際行ってみ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・この前に来たときは橋より下流の大きい池にばかり泳いでいたのが、その後に一度下の池で花火を上げてから以来上の池へ移って、それきり、どうしても、橋一つ隔てた下の池へは行かなくなったそうである。そうして、一日じゅうの大部分は藤棚の下の浅瀬で眠った・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・その時刻にそこから十町も下流の河口を船で通りかかった人が、何かしら水面でぼちゃぼちゃ音がしていると思ってよく見ると、一匹の「えんこう」が、しきりにぐるぐる廻転運動をしているのであった。つまり「えんこう」の手は自由自在に伸長されるもので、こん・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・このような流れが海の底の敷居を越える時には、丁度橋杙などの下流が掘れくぼむと同じような訳で、敷居の下流のところがだんだんに深くなったのであろうという説があります。 このほか名高い瀬戸や普通の人の知らぬ瀬戸で潮流の早いところは沢山あります・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・ようよう立上がりて下流へ行く。河とは名ばかりの黄色き砂に水の気なくて、照りつく日のきらめく暑そうなり。川口に当りて海面鏡のごとく帆船の大き小さきも見ゆ。多門通りより元の道に出てまた前の氷屋に一杯の玉壺を呼んで荷物を受取り停車場に行く。今よう・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 一通遊泳術の免許を取ってしまった後は全く教師の監督を離れるので、朝早く自分たちは蘆のかげなる稽古場に衣服を脱ぎ捨て肌襦袢のような短い水着一枚になって大川筋をば汐の流に任して上流は向島下流は佃のあたりまで泳いで行き、疲れると石垣の上に這・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・かつて明治座の役者たちと共に、電車通の心行寺に鶴屋南北の墓を掃ったことや、そこから程遠からぬ油堀の下流に、三角屋敷の址を尋ね歩いたことも、思えば十余年のむかしとなった。 今日の深川は西は大川の岸から、東は砂町の境に至るまで、一木一草もな・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・これによって、わたくしはむかし小名木川の一支流が砂村を横断して、中川の下流に合していた事を知った。この支流は初め隠坊堀とよばれ、下流に至って境川、また砂村川と称せられたことをも知り得た。露伴先生の紀行によると、明治三十年頃、境川の両岸には樹・・・ 永井荷風 「放水路」
出典:青空文庫