・・・ 六「この次で下車るのじゃに。」 となぜか、わけも知らない娘を躾めるように云って、片目を男にじろりと向け直して、「何てまあ、馬鹿々々しい。」 と当着けるように言った。 が、まだ二人ともなにも言わな・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのが習であったが、五日も七日もこう降り続くと、どこの道もまるで泥海のようであるから、勤人が・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
汽車がとまる。瓦斯燈に「かしはざき」と書いた仮名文字が読める。予は下車の用意を急ぐ。三四人の駅夫が駅の名を呼ぶでもなく、只歩いて通る。靴の音トツトツと只歩いて通る。乗客は各自に車扉を開いて降りる。 日和下駄カラカラと予の先きに三人・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
一 車掌に注意されて、彼は福島で下車した。朝の五時であった。それから晩の六時まで待たねばならないのだ。 耕吉は昨夜の十一時上野発の列車へ乗りこんだのだ、が、奥羽線廻りはその前の九時発のだったのである。あわてて、酔払って、二三・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・有楽町で途中下車して銀座へ出、茶や砂糖、パン、牛酪などを買った。人通りが少い。ここでも三四人の店員が雪投げをしていた。堅そうで痛そうであった。自分は変に不愉快に思った。疲れ切ってもいた。一つには今日の失敗り方が余りひど過ぎたので、自分は反抗・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ おきのは、改札口を出て来る下車客を、一人一人注意してみたが、彼女の息子はいなかった。確かに、今、下車した坊っちゃん達と一緒に、試験がすんで帰って来る筈だった。村をたって行った日は異っていたが、学校は同じだった。彼女は、乗り越したのでは・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 駅で、列車からプラットフォームへ降りて、あわたゞしく出口に急ぐ下車客にまじって、気おくれしながら歩いていると、どこからやって来たのか、若々しく着飾った、まだ娘のように見えないでもない女が、清三の手を握らんばかりに何か話しかけていた。清・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・この帰りには、いったん下諏訪で下車して次の汽車の来るのを待ち、また夜行の旅を続けたが、嫂でも姪でも言葉すくなに乗って行った。末子なぞは汽車の窓のところにハンケチを載せて、ただうとうとと眠りつづけて行った。 東京の朝も見直すような心持ちで・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・そう言って皆を三島に下車させて、私は無理にはしゃいで三島の町をあちこち案内して歩き、昔の三島の思い出を面白おかしく、努めて語って聞かせたのですが、私自身だんだん、しょげて、しまいには、ものも言いたくなくなる程けわしい憂鬱に落ち込んでしまいま・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・それに耐え切れず、車中でウイスキーを呑み、それでもこらえ切れず途中下車して、自身の力で動き廻ろうともがくのである。 けれども、所謂「旅行上手」の人は、その乗車時間を、楽しむ、とまでは言えないかも知れないが、少なくとも、観念出来る。 ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫