・・・破廉恥であると思った。不倫でさえあると考えた。行こうか行くまいか、さんざ迷った。行くことにきめた。約束を平気で破れるほど、そんなに強い男爵ではなかった。 九時に新橋駅で、小さいとみを捜し出して、男爵は、まるで、口もきかずに、ずんずん歩い・・・ 太宰治 「花燭」
・・・芸術、もとこれ、不倫の申しわけ、――余談は、さて置き、萱野さんとは、それっきりなの? ああ、どのようなロマンスにも、神を恐れぬ低劣の結末が、宿命的に要求される。悪かしこい読者は、はじめ五、六行読んで、そっと、結末の一行を覗き読みして、ああ、・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・善良なるその妻もまたあたかもこの世の中に何事も起こらなかったかのように平静な態度でこの不倫の夫を迎えたのであった。一方ではまた、突然の暴行の後に釈放された白い母鳥も、ほんのちょっとばかり取り乱した羽毛をくちばしでかいつくろって、心ばかりの身・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・しかしそういう不倫な芸術家の与える芸術その物は必ずしも効果の悪いものばかりとは思われない。つまり、こういう芸術家やこれとよく似た科学者らは、極端なイーゴイストであるがために結果においてはかえって多数のために自分を犠牲にする事になる場合もある・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・したものと言っても決して不倫ではない。 特別論の一般を知った後にそれが等速運動のみに関するという点に一種の物足りなさあるいは不安を感じる人は、すでに立派に一般論の門戸に導かれるべき資格を備えている。そしてそこに再び第二のコロンバスの卵に・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・それで嗜好趣味という事は別として、科学者として芸術を論じるという事もそれほど不倫な事とは思われない。のみならず自身に取っては芸術上の問題を思索する事によって自分の専門の事柄に対して新しい見解や暗示を得る事も少なくないのである。それと同時に、・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・に対する自分の好奇心を急激な加速度で増長せしめるに至った経路はあるいは一部の読者に興味があるかもしれないし、また自分が本分を忘れて、他人の門戸をうかがうような不倫をあえてするに至った事の申し訳にもいくぶんはなるかもしれないから一つの懺悔話と・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・われは個々の原子の状態を確定する代わりに、ただその確率を知ると同様に、たとえば割れ目の場合でも精密な形を記載することはできなくても、その統計的特徴を把握することができるであろうと想像するのは、必ずしも不倫ではあるまいと思われる。 これら・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・といったような不倫な言葉が自然に口から出た。そうしてそのあとから水のにじみ出るようなさびしさが襲って来るのであった。 散るべくしてわずかに散らないでいた桐の一葉が、風のない静かな夕べにおのずから枝を離れて落ちたような心持ちがした。自分の・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・そうして多数の作者より成る連句はまさに一つの管弦楽に類していると言ってもはなはだしい不倫の比較ではあるまいと思われるのである。ただ一種の楽器のあまり長い独奏は聴者の倦怠をきたしやすい。もっともピアノなどにはしばしば相当長い独奏曲があるにはあ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫