・・・あれは神秘主義の祭である。不可解なる荘厳の儀式である。何の為に熱狂したのかは「改造」社主の山本氏さえ知らない。 すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は我々文明の民である。同時に又我々の信念も三越の飾り窓と・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにも関らず死んだ蟻である。このくらい秘密の魅力に富んだ、掴え所のない問題はない。保吉は死を考える度に、ある日回向院の境内に見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・それをなぜそう言われたかはいまだに僕には不可解である。 四〇 勉強 僕は僕の中学時代はもちろん、復習というものをしたことはなかった。しかし試験勉強はたびたびした。試験の当日にはどの生徒も運動場でも本を読んだりしている・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・ 色気の有無が不可解である。ある種のうつくしいものは、神が惜んで人に与えない説がある。なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相というのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して、お誓の処女づくって、血の清澄明晰な風情に・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・U氏は「沼南は不可解だ、神乎愚人乎」とその後しばしば私に話したが、私にも実はマダ謎である。 沼南が議政壇に最後の光焔を放ったのはシーメンス事件を弾劾した大演説であった。沼南の直截痛烈な長広舌はこの種の弾劾演説に掛けては近代政治界の第一人・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・問題の提出者たる古典科出身のYは不可解な顔をして何ともいわなかった。 ドストエフスキーを読んで落雷に出会ったような心地のした私は更に二葉亭に接して千丈の飛瀑に打たれたような感があった。それまで実は小説その他のいわゆる軟文学をただの一時の・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・「車代の不可解」「現代医界の悪風潮」「只眼中金あるのみ」などとこれをちょっと変えれば、そのまま川那子メジシンに適用できるような題目の下に、冒頭からいきなり――現代の医者は鬼である。彼等は金儲けのためには義理人情もない云々と書き立て、――それ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・しからば自由の意識そのものは不可解のものになる。リップスもいうように、非決定論の自由は意欲が因果律に従うことをこばむものである。しかし因果律は先験的な精神の法則であって、これに従わずに思考することはわれわれにはできない。それなら非決定的の自・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・老人は不可解げに頸をひねって、哀しげな、また疑うような眼で、いつまでもおずおず彼を見ていた。 彼も、じっと老人を見た。 四 何故、憲兵隊へつれて来られたか、その理由が分らずに、彼は、湿っぽい、地下室の廊下を通っ・・・ 黒島伝治 「穴」
出典:青空文庫