・・・と書いた事が、何か不吉な前兆のように、頭にこびりついて離れなかった。「おい、ちょいとこれを打って来てくれないか?」 やっと書き上げた電報を店員の一人に渡した後、洋一は書き損じた紙を噛み噛み、店の後にある台所へ抜けて、晴れた日も薄暗い・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・私はその楢山夫人が、黒の紋付の肩を張って、金縁の眼鏡をかけながら、まるで後見と云う形で、三浦の細君と並んでいるのを眺めると、何と云う事もなく不吉な予感に脅かされずにはいられませんでした。しかもあの女権論者は、骨立った顔に薄化粧をして、絶えず・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、不吉な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうする。」 ――そう思うと、彼は、俄に眼の前が、暗くなるような心もちがした。 勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟か・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・僕はこのホテルへはいることに何か不吉な心もちを感じ、さっさともとの道を引き返して行った。 僕の銀座通りへ出た時にはかれこれ日の暮も近づいていた。僕は両側に並んだ店や目まぐるしい人通りに一層憂鬱にならずにはいられなかった。殊に往来の人々の・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・この結婚は不吉でございます。もし、ご結婚をなされば、この国に疫病が流行します。」と、おばあさんの予言者はいいました。 お姫さまは、これを聞いて、心配なされました。どうしたらいいだろうかと、それからというものは、毎日、赤い、長いそでを顔に・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・そして、年より夫婦に向かって、「昔から、人魚は、不吉なものとしてある。いまのうちに、手もとから離さないと、きっと悪いことがある。」と、まことしやかに申したのであります。 年より夫婦は、ついに香具師のいうことを信じてしまいました。それ・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・そして年より夫婦に向って、「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許から離さないと、きっと悪いことがある」と、誠しやかに申したのであります。 年より夫婦は、ついに香具師の言うことを信じてしまいました。それに大金になりますの・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ 黒い鳥という言葉は、なにか不吉なことのように、みんなの耳に聞かれたのです。けれど、だれも心から、ほんとうに信ずるものはありませんでした。なんでおまえにそんなことができるものか? この赤い鳥の飛んできたのは、偶然だったろうといわぬばかり・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・ いわつばめは、不吉な予感がしたように、いきいきとした顔をくもらしました。 しんぱくは、またひとしきり、疾風に顔を動かしながら、「このごろは、夜になると霜がおります。そして、星の影は、魔物の目のようにすごく光ります。どんな人間で・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・が偶然にしても不吉な偶然だと思った。 よしんば雨のための停電にせよ、まるでわざとのような停電のような気がした。 しかし、べつに何ごとも起らなかった。いきなり誰かが飛び掛って来そうな気配もない。 してみれば、ただ、門燈が何となく消・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫