・・・ すばしこく枝移りする小鳥のような不定さは私をいらだたせた。蜃気楼のようなはかなさは私を切なくした。そして深祕はだんだん深まってゆくのだった。私に課せられている暗鬱な周囲のなかで、やがてそれは幻聴のように鳴りはじめた。束の間の閃光が私の・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・この人々は大概、いわゆる居所不明、もしくは不定な連中であるから文公の今夜の行く先など気にしないのも無理はない。しかしあの容態では遠からずまいってしまうだろうとは文公の去ったあとでのうわさであった。「かわいそうに。養育院へでもはいればいい・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・この両端にさまよって、不定不安の生を営みながら、自分でも不満足だらけで過ごして行く。 この点から考えると、世の一人生観に帰命して何らの疑惑をも感ぜずに行き得る人は幸福である。ましてそれを他人に宣伝するまでになった人はいよいよ幸福である。・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・小生ただいま居所不定、だから御通信はすべて社宛に下さる様。住所がきまったなら、お報せする。要用のみで失敬。武蔵野新聞社学芸部、長沢伝六。」 月日。「太宰さん。とうとう正義温情の徒にみごと一ぱい食わせられましたね。はじめから御注意・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・しかしあのろうそくの炎の不定なゆらぎはあらゆるものの陰影に生きた脈動を与えるので、このグロテスクな影人形の舞踊にはいっそう幻想的な雰囲気が付きまとっていて、幼いわれわれのファンタジーを一種不思議な世界へ誘うのであった。 ジャヴァの影人形・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・この差は数秒あるいは数分の不定なる週期をもって急激に変化するを見出すべし。すなわち小規模、短週期の変化を特に注意すれば上の微分係数は決して小ならず。かくのごとき眼より見れば、実際の等温線は大小無数の波状凹凸を有しこれが寸時も止まらず蠢動せる・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・しかし外界は不定である。一夜寝て起きたときは、もうその室が自分を封じ込んだまま世界のいずこの果てまで行っているか、それを自分の能力で判断する手段は一つもないのである。 こんなことを考えてみてもやっぱり「心の窓」はいつでもできるだけ数をた・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・空気の抵抗や、風の横圧や、周囲の物体より起る不定な影響を除去した時に始めて厳密に適用さるべきものである。そしてこれらの第二次的影響の微少なる限り近似的に適用するものである。それでこの種の方則は具体的事象の中から抽象によって取り出された「真」・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・同時に物質確定の世界と生命の不定世界との間にそびえていた万里の鉄壁の一部がいよいよ破れ始める日の幻を心に描くことさえできるような気がしたのである。 その曲がった脊柱のごとくヘテロドックスなこの老学者がねずみの巣のような研究室の片すみ・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・今まではなるべくなら避けたく思った統計的不定の渾沌の闇の中に、統計的にのみ再現的な事実と方則とを求めるように余儀なくされたのである。しかもそういう場合の問題の解析に必要な利器はまだきわめて不備であって、まさにこれから始めて製造に取りかかるべ・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
出典:青空文庫