・・・それがこの無遠慮な男の質問で始めて忘れていた内容の恐ろしさと、それを繰り返す自分の職業の不快さを思い出させられたのではあるまいか。 これと場合はちがうが、われわれは子供などに科学上の知識を教えている時にしばしば自分がなんの気もつかずに言・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・義姉自身の意志が多くそれに働いていたということは、多少不快に思われないことはないにしても、義姉自身の立場からいえば、それは当然すぎるほど当然のことであった。ただ私の父の血が絶えるということが私自身にはどうでもいいことであるにしても、私たちの・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・日本の旅館の不快なる事は毎朝毎晩番頭や内儀の挨拶、散歩の度々に女中の送迎、旅の寂しさを愛するものに取ってはこれ以上の煩累はあるまい。 何処へ行こうかと避暑の行先を思案している中、土用半には早くも秋風が立ち初める。蚊遣の烟になお更薄暗く思・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・苦い真実を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々御詫を申し上げますが、また私の述べ来ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見であるという点にも御同情になって悪いとこ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・もしも強いて自からこれを用いんとすれば、ただ苦痛不快を覚うべきのみ。これを吸煙の上達と称し、世人の実験においてあまねく知るところなり。ひとしく同一の煙草にして、はじめはこれを喫して美なりしもの、今はかえって口に不快を覚えしむ。然らばすなわち・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・諸君はその軽薄に不快を禁じ得ないだろう。私から云うならば前論士の如きにいずれの教理が深遠なるや見当も何もつくものではないのである。次に前論士は吾等の世界に於ける善について述べられた。この世界に行わるる吾等の善なるものは畢竟根のない木であると・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・彼は自分の不快の為に彼女が断った今日の招待状が二枚、化粧台の上に賑やかな金縁を輝かせているの知っていた。 彼女は、朝の髪を結うとき、殆どひとりでに改めてその華やかな文字を眺めなおしただろう。きっと寂しい眼付をして窓の外を眺め、髪を結いか・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・そっと横から見たり、背後から見たりするのがわかる。不快でたまらない。それでもおれは命が惜しくて生きているのではない、おれをどれほど悪く思う人でも、命を惜しむ男だとはまさかに言うことが出来まい、たった今でも死んでよいのなら死んでみせると思うの・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・殊にそのため部下の諸将と争わなければならなかったこの夜の会議の終局を思うと、彼は腹立たしい淋しさの中で次第にルイザが不快に重苦しくなって来た。そうして、彼の胸底からは古いジョセフィヌの愛がちらちらと光を上げた。彼はこの夜、そのまま皇后ルイザ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・という言葉に出会うごとに感じられたような不快な感じを、わたくしたちは感じないばかりか、そこに新しい表現が作り出されているようにさえ感じていたのである。しかしわたくしは、一度先生に注意されてからは、この言い回しを平気で使うことができなくなった・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫