・・・の如くになり、法然の説く如くに、「一文不知の尼入道」となり、趙州の如くに「無」となるときにのみ、われわれは宇宙と一つに帰し、立命することができるのである。 五 知性か啓示か 今日この国の知識階級の前には知性か啓示かの・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・それである一つの歌と次の歌とが表面上関係はないようでも、それから少し下層へ掘込んで行くとどこかで、しっかり必然的につながっているように思われ、それを掘込んで行くときに結局不知不識に自分自身の体験の世界に分け入ってその世界の中でそれに相当する・・・ 寺田寅彦 「書簡(2[#「2」はローマ数字2、1-13-22])」
・・・隣の琴の音が急になって胸をかき乱さるるような気がする。不知不識其方へと路次を這入ると道はいよいよ狭くなって井戸が道をさえぎっている。その傍で若い女が米を磨いでいる。流しの板のすべりそうなのを踏んで向側へ越すと柵があってその上は鉄道線路、その・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・それから気が付いて考えてみると、近頃少し細かい字を見る時には、不知不識眼を細くするような習慣が生じているのであった。 去年の夏子供が縁日で松虫を買って来た。そして縁側の軒端に吊しておいた。宵のうちには鈴を振るような音がよく聞こえたが、し・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・ ○ 千葉街道の道端に茂っている八幡不知の藪の前をあるいて行くと、やがて道をよこぎる一条の細流に出会う。 両側の土手には草の中に野菊や露草がその時節には花をさかせている。流の幅は二間くらいはあるであろう。通・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・されば日常の道徳も不知不識の間に儒教に依って指導せられることが少くない。 儒教は政治と道徳とを説くに止って、人間死後のことには言及んでいない。儒教はそれ故宗教の域に到達していないものかも知れない。しかしこの問題については、わたくしは確乎・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・中津の旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中に居てかえって自からその動くところの趣に心付かず、不知不識以て今日に至りし者も多し。独り余輩は所謂藩の岸上に立つ者なれば、望観するところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観の・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ アパート生活と一人の女の人の生活とは結びつけられるものだが、そのアパートの一室一室に棲んでいる人が、どんな気持で住んでいるかと云えば不知不識のうち、今のアパート暮しは一時的なものという気持、結婚するまでとか、又、結婚している人は、子供・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
・・・ 某は当時退隠相願い、隈本を引払い、当地へ罷越候えども、六丸殿の御事心に懸かり、せめては御元服遊ばされ候まで、よそながら御安泰を祈念致したく、不識不知あまたの幾月を相過し候。 然るところ去承応二年六丸殿は未だ十一歳におわしながら、越・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫