・・・ 七兵衛はばったのような足つきで不行儀に突立つと屏風の前を一跨、直に台所へ出ると、荒縄には秋の草のみだれ咲、小雨が降るかと霧かかって、帯の端衣服の裾をしたしたと落つる雫も、萌黄の露、紫の露かと見えて、慄然とする朝寒。 真中に際立って・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・例の通りに白壁のように塗り立てた夫人とクッつき合って、傍若無人に大きな口を開いてノベツに笑っていたが、その間夫人は沼南の肩を叩いたり膝を揺ったりして不行儀を極めているので、衆人の視線は自然と沼南夫妻に集中して高座よりは沼南夫妻のイチャツキの・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱りたることなく、一見甚だ美なるに似たれども、気の毒なるは主人公の身持不行儀にして婬行を恣にし、内に妾を飼い外・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・故に中津の上等士族は、天下多事のために士気を興奮するには非ずして、かえってこれがためにその懶惰不行儀の風を進めたる者というべし。 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・一 女性は最も優美を貴ぶが故に、学問を勉強すればとて、男書生の如く朴訥なる可らず、無遠慮なる可らず、不行儀なる可らず、差出がましく生意気なる可らず。人に交わるに法あり。事に当りて論ず可きは大に論じて遠慮に及ばずと雖も、等しく議論するにも・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・彼が部屋へ帰って親しめる唯一のものはその不行儀な乳房である。その乳房は肉親のように見えた。彼はその女の顔を一度見たいと願い出した。が、いつ見ても乳房は破れた塀の隙間いっぱいに垂れ拡がって動かなかった。いつまでもそれを見ていると、彼の世界はた・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫