姓氏の一。
よさのあきこ【与謝野晶子】
[1878〜1942]歌人。堺の生まれ。旧姓、鳳 (ほう) 。鉄幹の妻。新詩社を代表する歌人として雑誌「明星」で活躍、明治浪漫主義に新時代を開いた。歌集「みだれ髪」「小扇」「舞姫」「恋衣」(共著)、現代語訳「源氏物語」など。
よさのてっかん【与謝野鉄幹】
[1873〜1935]詩人・歌人。京都の生まれ。本名、寛 (ひろし) 。落合直文の門に入り、浅香社に参加、短歌革新運動を興した。のち新詩社を創立し、「明星」を創刊、主宰。妻晶子とともに明治浪漫主義に新時代を開き、新人を多く育成した。歌論「亡国の音 (おん) 」、詩歌集「東西南北」「紫」、訳詩集「リラの花」など。
よさのひろし【与謝野寛】
⇒与謝野鉄幹 (よさのてっかん)
出典:gooニュース
与謝野町めぐって「御財印」集めよう
御財印集めを通して与謝野の良さを知ってもらうのが狙いだ。 与謝野町は大江山連峰から阿蘇海まで、山もあり、海もあり、自然豊かだ。文化財も多様で、国史跡の古墳群や、ガラス釧(くしろ)という考古的な国重要文化財もあれば、旧加悦鉄道2号機関車という近代の重文もある。
<小城の風>与謝野寛・晶子の手紙 高田保馬に3通 生涯交流
小城市立歴史資料館の新収蔵品展では、与謝野寛・晶子夫妻が高田に宛てた3通の直筆の手紙を展示している。三日月町の高田の旧宅に残されていたもので、遺族から寄贈された資料のなかに含まれていた。資料整理の過程で確認できたものである。高田と与謝野夫妻のつながりは1910(明治43)年に与謝野夫妻が主宰する新詩社に入社したのが始まりで、与謝野夫妻とは生涯交流があった。
与謝野晶子反戦詩、15言語に 堺市
堺市出身の歌人・与謝野晶子の反戦詩「君死にたまふことなかれ」をウクライナ語、英語、中国語、スペイン語など15言語に翻訳したパネルが文化観光施設「さかい利晶の杜」(同市堺区)で展示されている。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃など、武力紛争が絶えない中、平和のメッセージを世界に届けようと企画された。16日まで。
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出典:青空文庫
・・・あろうか、それとも、与謝野晶子、斎藤茂吉の初期の短歌の如く新・・・ 織田作之助「可能性の文学」
・・・り表現しているのは、与謝野晶子の新体詩である。それは、明治三十七年・・・ 黒島伝治「反戦文学論」
・・・する詩歌についても、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」、石川啄・・・ 黒島伝治「明治の戦争文学」