・・・然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は土崩瓦解するを免れざるなり。語に曰、其罪を悪んで其人を悪まずと。吾人は素より忍野氏に酷ならんとするものにあらざるなり。然れども軽忽に発狂したる罪は鼓を鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみなら・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・無一物な清浄な世界にクララの魂だけが唯一つ感激に震えて燃えていた。死を宣告される前のような、奇怪な不安と沈静とが交る交る襲って来た。不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆の葉のように細かくおののいていた。・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・自由に対する慾望とは、啻に政治上または経済上の束縛から個人の意志を解放せむとするばかりでなく、自己みずからの世界を自己みずからの力によって創造し、開拓し、司配せんとする慾望である。我みずから我が王たらんとし、我がいっさいの能力を我みずから使・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
「――鱧あみだ仏、はも仏と唱うれば、鮒らく世界に生れ、鯒へ鯒へと請ぜられ……仏と雑魚して居べし。されば……干鯛貝らいし、真経には、蛸とくあのく鱈――」 ……時節柄を弁えるがいい。蕎麦は二銭さがっても、このせち辛さは、明日・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉の緑も物の煩いということをいっさい知らぬさまで世界はけっして地獄でないことを現実に証明している。予はしばらく子どもらをそっちのけにしていたことに気づいた。「お父さんすぐ九十九里へ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ろがあったり、明るいところがあったり、ランプのあかりがさしたり、電燈の光が照らしたり――その明暗幽照にまでも道のでこぼこが出来て――ちらつく眼鏡越しの近眼の目さきや、あぶなッかしい足もとから、全く別な世界が開らけた。 戸々に立ち働いてい・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「野菜料理は日本が世界一である。欧羅巴の野菜料理てのは鶯のスリ餌のようなものばかりだから、「ヴェジテラニヤン・クラブ」へ出入する奴は皆青瓢箪のような面をしている。が、日本では菜食党の坊主は皆血色のイイ健康な面をしている。日本の野菜料理が衛養・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑といってもよろしい人のお話をいたしましょう。この世界の英傑のなかに、ちょうどわれわれの留まっているこの箱根山の近所に生まれた人で二宮金次郎という人がありました。この人の伝を読みましたときに私は非・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・こんな恋愛がこの世界で、この世界にいる人妻のために、正当な恋愛でありましたか、どうでしたか、それはこれから先の第三期の生活に入ったなら、分かるだろうと存じます。わたくしが、この世に生れる前と、生れてからとで経験しました、第一期、第二期の生活・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 今度の戦争の事に対しても、徹底的に最後まで戦うということは、独逸が勝っても、或は敗けても、世界の人心の上にはっきりした覚醒を齎すけれども、それがこの儘済んだら、世界の人心に対して何物をも附与しないであろう。・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫