・・・十八の年まで淋しい山里にいて学問という学問は何にもしないでただ城下の中学校に寄宿している従兄弟から送って寄こす少年雑誌見たようなものを読み、その他は叔母の家に昔から在った源平盛衰記、太平記、漢楚軍談、忠義水滸伝のようなものばかり読んだのでご・・・ 国木田独歩 「女難」
一 源作の息子が市の中学校の入学試験を受けに行っているという噂が、村中にひろまった。源作は、村の貧しい、等級割一戸前も持っていない自作農だった。地主や、醤油屋の坊っちゃん達なら、東京の大学へ入っても、当然で・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・此二人は後にまた中学校でも落合ったことがあるので能くおぼえて居ました。 また此外に矢張りこれも同級の男で野崎というのがありましたが、此野崎の家は明神前で袋物などをも商う傍、貸本屋を渡世にして居ました。ところが此処は朝夕学校への通り道でし・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・男らしいうちにも愛嬌のある物の言振で、「私は中学校に居る時代から原先生のものを愛読しました」「この布施君は永田君に習った人なんです」と相川は原の方を向いて言った。「永田君に?」と原は可懐しそうに。「はあ、永田先生には非常に御厄介・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・私が多少でもいい仕事をして、お父さに喜んでもらいたかった、とそればかり思います。いま考えると「おどさ」の有難いところばかり思い出され、残念でなりません。私が中学校で少しでも佳い成績をとると、おどさは、世界中の誰よりも喜んで下さいました。・・・ 太宰治 「青森」
・・・大正十四年、私が中学校三年の時、照宮さまがお生まれになった。そのころは、私も学校の成績が悪くなかったので、この兄の一ばんのお気に入りであった。父に早く死なれたので、兄と私の関係は、父子のようなものであった。私は冬季休暇で、生家に帰り、嫂と、・・・ 太宰治 「一燈」
・・・寺に寄宿した時代のかれは、かなりにくわしくわかったが、その交遊の間のことがどうものみ込めない。中学校時代の日記は、空想たくさんで、どれが本当かうそかわからない。戯談に書いたり、のんきに戯れたりしていることばかりである。三十四五年――七八年代・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ホワイトナイルの岸べに生まれたある黒んぼ少年の数奇な冒険生涯を物語る続きものの映画を中学校の某先生が黄色い声で説明したものである。それからずっと後の事ではあるが日清戦争時代にもしばしば「幻燈会」なるものが劇場で開かれて見に行った。県出身の若・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・そうして、中学校から高等学校へ移るまぎわに立ったときに、なんの躊躇もなく生涯の針路を科学のほうに向けたのであった。そうして、今になって考えてみても自分の取るべき道はほかには決してなかったのである。思うにそのころの自分にとっては文学はただ受働・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・―― 小学校を卒業してから、林は町の中学校へあがり、私は工場の小僧になったから、しぜんと別れてしまったが、林のなつかしい、あの私が茄子を折って叱られているとき――小母さん、すみません――と詫びてくれた、温かい心が四十二歳になってもまだ忘・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫