・・・と言うのはここにいるうちに挨拶ぐらいはし合うようになったある十五六の中学生だった。彼は格別美少年ではなかった。しかしどこか若木に似た水々しさを具えた少年だった。ちょうど十日ばかり以前のある午後、僕等は海から上った体を熱い砂の上へ投げ出してい・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と云う意味はダアウインの著書を信じていると云うことである。つまり書物を信ずることは今人も古人も変りはない。その上古人は少くとも創世記に目を曝らしていた。今人は少数の専門家を除き、ダアウインの著書も・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・――そこへ色づいた林の中から、勢の好い中学生が、四五人同時に飛び出して来た。彼等は少将に頓着せず、将軍夫妻をとり囲むと、口々に彼等が夫人のために、見つけて来た場所を報告した。その上それぞれ自分の場所へ、夫人に来て貰うように、無邪気な競争さえ・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・というのは、中学生たる自分にとって、どうも樗牛はうそつきだという気がしたのである。 それにはほかにもいろいろ理由があったろうが、今でも覚えているのは、あの「わが袖の記」や何かの美しい文章が、いかにもそらぞらしく感ぜられたことである。あれ・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・(僕に白柳秀湖氏や上司それはまだ中学生の僕には僕自身同じことを見ていたせいか、感銘の深いものに違いなかった。僕はこの文章から同氏の本を読むようになり、いつかロシヤの文学者の名前を、――ことにトゥルゲネフの名前を覚えるようになった。それらの小・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ この猛犬は、――土地ではまだ、深山にかくれて活きている事を信ぜられています――雪中行軍に擬して、中の河内を柳ヶ瀬へ抜けようとした冒険に、教授が二人、某中学生が十五人、無慙にも凍死をしたのでした。――七年前―― 雪難之碑はその記念だ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・そう思案した私は、実をいえば中学生の頃から髪の毛を伸ばしたかったのである。 しかし中学生の分際で髪の毛を伸ばすのは、口髭を生やすよりも困難であった。それ故私は高等学校にはいってから伸ばそうという計画を樹て、学校もなるべく頭髪の型に関する・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 生まれつき肌が白いし、自分から言うのはおかしいが、まア美少年の方だったので、中学生の頃から誘惑が多くて、十七の歳女専の生徒から口説かれて、とうとうその生徒を妊娠させたので、学校は放校処分になり、家からも勘当された。木賃宿を泊り歩いてい・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・彼は帝大の学生だった頃、制服というものを持たなかった。中学生の時分より着ているよれよれの絣の着物で通学した。袴をはくのがきらいだったので、下宿を出る時、懐へ袴をつっ込んで行き、校門の前で出してはいたという。制帽も持たなかった。だから、誰も彼・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・はもうなくなっていたのである。中学生の本箱より見すぼらしい本屋ではとても立ち行かぬと思って、商売がえでもしたのだろうかと、私はさすがに寂しく雑閙に押されていた。 戎橋筋の端まで来て、私は南海通へ折れて行った。南海通にもあくどいペンキ塗り・・・ 織田作之助 「神経」
出典:青空文庫