・・・そこで、私は町の中部のかなり賑かな通へ出て、どこか人にも怪まれずに、蹲むか腰掛けかする所をと探すと、ちょうど取引会所が目についた。盛んに米や雑穀の相場が立っている。広い会所の中は揉合うばかりの群衆で、相場の呼声ごとに場内は色めきたつ。中には・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・日本の中部の山の奥の奥で生れたものだから。青葉の香はいいぞ。」「それあ、いいさ。みんな木をなつかしがっているよ。だから、この島にいる奴は誰にしたって、一本でも木のあるところに坐りたいのだよ。」言いながら彼は股の毛をわけて、深い赤黒い傷跡・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東久能山の麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当潰家もあり人死もあった。しかし破壊的地震としては極・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・やっと颱風と名のつく程度のものまでも入れれば中部日本を通るものだけでも年に一つや二つくらいはいつでも数えられるであろう。遺憾ながらまだ颱風の深度対頻度の統計が十分に出来ていないようであるが、そうした統計はやはり災害対策の基礎資料として是非と・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ 地震の現象でも大小の地震が不断になしくずしに起こっている代わりにたとえば中部アジアなどで起こるような非常に大規模な地震はむしろまれであるように思われる。この事はやはり前記の鉱産に関する所説と本質的に連関をもっているのである。すなわち、・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ ところが先頃ゴビの沙漠の砂の中から地質時代の大きな爬虫のディノソーラスの卵を発見した米国の学者達は、今度はまた中部アジアの大沙漠へ、地質時代の人間の祖先の骨を捜しに出かける準備をしている。なんでも駱駝を二百匹とか連れて何年がかりとかで・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 風景は、モスクワを出た当座の豊饒な黒土地方、中部シベリアの密林でおおわれた壮厳な森林帯の景色とまるで違い、寂しい極東の辺土の美しさだ。うちつづく山のかなたは、モンゴリア共和国である。 十一月二日。晴れたり曇ったり。 列車の・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・という生きかたをしたのでもなく、侵略者の暴力で臨んだのでもなく、これら数百万のソヴェト市民ははっきりその眼、その心で、自分たちの建設しつつある社会主義社会の生活面を、旧世界の中世封建の霧がかかった中部ヨーロッパ諸国の人民生活と対比しないでは・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ 婦人民主新聞の編輯局は、銀座裏の中部日本の一部におかれた。そしてなんとなくこれでいいのかしらと思うような出発をはじめた。婦人民主クラブはまだやっとヒヨッコのあゆみだし、新聞が特別な性質のものである上に用紙の制限その他の理由で一躍商業新・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
出典:青空文庫