・・・ フットボールは、白い月のように、円い顔を雲の間から出して、下をながめていました。だれも、自分をまりだと思うものはありませんでした。「あすこに、昼のお月さまが出ているよ。」といって、子供たちは、仰ぎながらいっているのを、まりは聞いた・・・ 小川未明 「あるまりの一生」
・・・やはり坂道を泥まみれになって転がって行く円い玉であった。この円い玉をどこまで追って行っても、世相を捉えることは出来ない。目まぐるしい変転する世相の逃足の早さを言うのではない。現実を三角や四角と思って、その多角形の頂点に鉤をひっかけていた新吉・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ この老人がその小さな丸い目を杉の杜の薄暗い陰でビカビカ輝らせて、黙って立っているのを見るとだれも薄気味の悪い老翁だと思う、それが老翁ばかりでなく「杉の杜」というのが、岩――の士族屋敷ではこの「ひげ」の生まれない前のもっと前からすでに気・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 老人は、机のはしに、丸い爪を持った指の太い手をついて、急に座ると腰掛が毀れるかのように、腕に力を入れて、恐る/\静かに坐った。 朝鮮語の話は、傍できいていると、癇高く、符号でも叫んでいるようだった。滑稽に聞える音調を、老人は真面目・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・夏らしい日あたりや、影や、時の物の茄子でも漬けて在院中の慰みとするに好いような沢山な円い小石がその川岸にあった。あの小山の家の方で、墓参りより外にめったに屋外に出たことのないようなおげんに取っては、その川岸は胸一ぱいに好い空気を呼吸すること・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その手を体の両側に、下へ向けてずっと伸ばしていよいよ下に落ち付いた処で、二つの円い、頭えている拳に固めた。そして小さく刻んだ、しっかりした足取で町を下ってライン河の方へ進んだ。不思議な威力に駆られて、人間の世の狭い処を離れて、滾々として流れ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 蜜柑箱を墨で塗って、底へ丸い穴を開けたのへ、筒抜けの鑵詰の殻を嵌めて、それを踏台の上に乗せて、上から風呂敷をかけると、それが章坊の写真機である。「またみんなを玩具にするのかい」と小母さんが笑う。この細工は床屋の寅吉に泣きついて・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・女は、その大学生の怒った肩に、おのれの丸いやわらかな肩をこすりつけるようにしながら男の後を追った。 大学生は、頭がよかった。女の発情を察知していた。歩きながら囁いた。「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキス・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・家の中には燈火が見える。丸い赤い提燈が見える。人の声が耳に入る。 銃を力にかろうじて立ち上がった。 なるほど、その家屋の入り口に酒保らしいものがある。暗いからわからぬが、何か釜らしいものが戸外の一隅にあって、薪の余燼が赤く見えた。薄・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・代赭色を帯びた円い山の背を、白いただ一筋の道が頂上へ向って延びている。その末はいつとなく模糊たる雲煙の中に没しているのが誘惑的である。ちょっと見ると一と息で登れそうな気がするが、上り口の立て札には頂上まで五時間を要し途中一滴の水もないと書い・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
出典:青空文庫