・・・三つの煙りが蓋の上に塊まって茶色の球が出来ると思うと、雨を帯びた風が颯と来て吹き散らす。塊まらぬ間に吹かるるときには三つの煙りが三つの輪を描いて、黒塗に蒔絵を散らした筒の周囲を遶る。あるものは緩く、あるものは疾く遶る。またある時は輪さえ描く・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・私は首から上が火の塊になったように感じた。憤怒! 私は傷いた足で、看守長の睾丸を全身の力を罩めて蹴上げた。が、食事窓がそれを妨げた。足は膝から先が飛び上がっただけで、看守のズボンに微に触れただけだった。 ――何をする。 ――扉を・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・そして隠しからパンを一切と、腸詰を一塊と、古い薬瓶に入れた葡萄酒とを取出して、晩食をしはじめた。 この時自分のいる所から余り遠くない所に、鈍い、鼾のような声がし出したので、一本腕は頭をその方角に振り向けた。「おや。なんだ。爺いさん。・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・即ち双方の胸に一物あることにして、其一物は固より悪事ならざるのみか、真実の深切、誠意誠心の塊にても、既に隠すとありては双方共に常に釈然たるを得ず、之を彼の骨肉の親子が無遠慮に思う所を述べて、双方の間に行違もあり誤解もありて、親に叱られ子に咎・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・日の光いたらぬ山の洞のうちに火ともし入てかね掘出す赤裸の男子むれゐて鉱のまろがり砕く鎚うち揮てさひづるや碓たててきらきらとひかる塊つきて粉にする筧かけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる黒けぶり群りたたせ手もす・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・それからは洪積層が旧天王の安山集塊岩の丘つづきのにも被さっているかがいちばんの疑問だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭を丘の頂部近くで見附けた。結局洪積紀は地形図の百四十米の線以下という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
一 ぼんやり薄曇っていた庭の風景が、雲の工合で俄に立体的になった。近くの暗い要垣、やや遠いポプラー、その奥の竹。遠近をもって物象の塊が感じられ、目新しい絵画的な景色になった。ポプラーの幹が何と黒々・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・これが秀麿の脳髄の中に蟠結している暗黒な塊で、秀麿の企てている事業は、この塊に礙げられて、どうしても発展させるわけにいかないのである。それで秀麿は製作的方面の脈管を総て塞いで、思量の体操として本だけ読んでいる。本を読み出すと、秀麿は不思議に・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・鶏は庭の隅に塊っていた。 灸は起きると直ぐ二階へ行った。そして、五号の部屋の障子の破れ目から中を覗いてみたが、蒲団の襟から出ている丸髷とかぶらの頭が二つ並んだまままだなかなか起きそうにも見えなかった。 灸は早く女の子を起したかった。・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・しかし若葉を緑色の塊として現わそうとする一本調子なもくろみが、あまりにも単純な自然の観照を暴露している。そうしてここにも機械的な繰り返しが、画面の単調と希薄とを感じさせるのである。特に画の下方のうるさいほどな緑塊重畳においてそうである。・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫