・・・……「八月×日 俺は今日マネエジャアの所へ商売のことを話しに行った。するとマネエジャアは話の中にも絶えず鼻を鳴らせている。どうも俺の脚の臭いは長靴の外にも発散するらしい。……「九月×日 馬の脚を自由に制御することは確かに馬術よりも困・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ ……………………昭和六年九月 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 陰暦の九月十三日、今夜が豆の月だという日の朝、露霜が降りたと思うほどつめたい。その代り天気はきらきらしている。十五日がこの村の祭で明日は宵祭という訣故、野の仕事も今日一渡り極りをつけねばならぬ所から、家中手分けをして野へ出ることに・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「いいえ、去年の九月に」「はやるの?」「ええ、どこででもきイちゃんきイちゃんて言ってくれてよ」「そう」と、あざ笑って、「はやりッ子だ、ねえ。――いくつ?」「二十七」僕はこれを聴いて、吉弥が割合いに正直に出ていると思った。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 臨終は明治二十二年九月二十一日であった。牛島の梵雲庵に病んでいよいよ最後の息を引取ろうとするや、呵々大笑して口吟んで曰く、「今まではさまざまの事して見たが、死んで見るのはこれが初めて」と。六十七歳で眠るが如く大往生を遂げた。天王寺墓域・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
九月の始めであるのに、もはや十月の気候のように感ぜられた日もある。日々に、東京から来た客は帰って、温泉場には、派手な女の姿が見られなくなった。一雨毎に、冷気を増して寂びれるばかりである。 朝早く馬が、向いの宿屋の前に繋がれた。其の・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・ 九月の十日過ぎに私はまた上京した。武田さんを訪問すると、留守だった。行方不明だという。上京の目的の半分は武田さんに会うことだった。 雑誌社へきけば判るだろうと思い、文芸春秋社へ行き、オール読物の編輯をしているSという友人を訪ねると・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・…… 自分はその前年の九月の震災まで、足かけ五年間、鎌倉の山の中の古寺の暗い一室で、病気、不幸、災難、孤独、貧乏――そういったあらゆる惨めな気持のものに打挫かれたような生活を送っていたのだったが、それにしても、実際の牢獄生活と較べてどれ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ 夏の末、秋の初めの九月なかば日曜の午後一時ごろ、「杉の杜」の四辻にぼんやり立っている者がある。 年のころは四十ばかり、胡麻白頭の色の黒い頬のこけた面長な男である。 汗じみて色の変わった縮布の洋服を着て脚絆の紺もあせ草鞋もぼ・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫