・・・ ちらほら人が立ちどまって見る、にやにや笑って行くものがある、向うの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ台に腰をかけてさっきからしきりに感服して見ている、何を感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・監督者と云いますか、何と云いますか、まず案内者あるいはお傅とでも云う格なんでしょう。暑い所へ入って鼻の頭へ汗の玉を並べて我慢をして動かずにいる事があります。すると子供からよく質問を受けて弱るのです。もっとも滑稽物や何かで帽子を飛ばして町内中・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
一 夫れ女子は男子に等しく生れて父母に養育せらるゝの約束なれば、其成長に至るまで両親の責任軽からずと知る可し。多産又は病身の母なれば乳母を雇うも母体衛生の為めに止むを得ざれども、成る可くば実母の乳を以て養う可し。母体平生の健・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 葉子が自分の乳母のところで育てさしている娘定子に執着し、愛している情は筆をつくして描かれている。葉子の優しい心、女らしさ、母らしさの美を作者はここで描こうとしている。 定子を見ていると、その父であった木部に対して恋心めいたものさえ・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・、仕て出来ないことがあろうかと云う名に動かされた行為とはせず、彼時代の圏境の裡に武将として育った一人の人間が、一旦思い込んだら、是が非でも其を通さずには止まない性格的悲劇を捕えようとしたらしい節々が、傅役虎昌の科白のうちにも仄めかされている・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・イエニーは乳母を傭えないで、健康を犠牲にして自分の乳を飲ませて育てていた。無法な家主に追いたてをくって、寒い雨の降る陰気な日にカールは妻子のために家を探してかけめぐった。子供が四人いるときくと貸す人がなかった。やっと友人の助けで小部屋が二つ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・彼女の子供達は中国の乳母と中国の子供たちの間に育った。彼女の全家族の生命が銃弾におびやかされたことがある。バックは、いくつかの貴重な生命を通じて、急激に動く中国を理解しているのである。 宣教師の娘であり、宣教師の妻であって、バックが、中・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・と乳母はそれに違いないと思ったので云って見たがやっぱり、「そんなことを幾度くりかえして云って居るんだろう。本人がそうでないって云ったら一番たしかだのに、ネ」といかにもいやそうに云うのでそれもならずに、どうしたら好かろうと迷って居・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫