・・・ 雲は低く灰汁を漲らして、蒼穹の奥、黒く流るる処、げに直顕せる飛行機の、一万里の荒海、八千里の曠野の五月闇を、一閃し、掠め去って、飛ぶに似て、似ぬものよ。ひょう、ひょう。 かあ、かあ。 北をさすを、北から吹・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・冥途の首途を導くようじゃありませんか、五月闇に、その白提灯を、ぼっと松林の中に、という。……成程、もの寂しさは、もの寂しい…… 話はちょっと前後した――うぐい亭では、座つきに月雪花。また少々慾張って、米俵だの、丁字だの、そうした形の落雁・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・この花も五月闇のなかにふさわなくはないものだと思いました。然しなんと云っても堪らないのは梅雨期です。雨が続くと私の部屋には湿気が充満します。窓ぎわなどが濡れてしまっているのを見たりすると全く憂鬱になりました。変に腹が立って来るのです。空はた・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・五月闇おぼつかなきに郭公 山の奥より鳴きていづなり この歌調には、何か切なものがある。五月闇おぼつかなき山の奥から鳴いて出づる郭公と共に止み難い何ものかの力を同感しているように思われる。作者は傍観せず、鎌倉の山の木立深・・・ 宮本百合子 「新緑」
・・・中陰の翌日からじめじめとした雨になって、五月闇の空が晴れずにいるのである。 障子はあけ放してあっても、蒸し暑くて風がない。そのくせ燭台の火はゆらめいている。螢が一匹庭の木立ちを縫って通り過ぎた。 一座を見渡した主人が口を開いた。「夜・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫