・・・第一まだ病状が、それほど昂進してもいないようですから、――しかしともかくも現在は、腹膜炎に違いありませんな。」「じゃすぐに入院でも、させて見ちゃいかがでしょう?」 慎太郎は険しい顔をしたまま、始めて話に口を挟んだ。博士はそれが意外だ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・僕は一つには睡眠を得るために、また一つには病的に良心の昂進するのを避けるために〇・五瓦のアダリン錠を嚥み、昏々とした眠りに沈んでしまった。…… 芥川竜之介 「死後」
・・・ 修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、事毎に興奮した。隣屋敷まで聞えそうな声で、わめき立てた事も一再ではない。刀架の刀に手のかかった事も、度々ある。そう云う時の彼はほとんど誰の眼にも、別人のよう・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・そう云う侮辱を耐え忍ぶ結果、妻のヒステリイが、益昂進する傾があるからでございます。ヒステリイが益昂進すれば、ドッペルゲンゲルの出現もあるいはより頻繁になるかも知れません。そうすれば、妻の貞操に対する世間の疑は、更に甚しくなる事でございましょ・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・もしもその際に、近代人の資格は神経の鋭敏という事であると速了して、あたかも入学試験の及第者が喜び勇んで及第者の群に投ずるような気持で、その不健全を恃み、かつ誇り、更に、その不健全な状態を昂進すべき色々の手段を採って得意になるとしたら、どうで・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 一兵卒の死の原因にしても、長途の行軍から持病の脚気が昂進したという程度で、それ以上、その原因を深く追求しないで、主人公の恐ろしい苦しみをかきながら、作者は、ある諦めとか運命とかいうものを見つけ出そうとしている。脚気は戦地病であるが、一・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・悶絶しないまでも、病勢が亢進するのは、わかり切った事だ。できれば私は、マスクでも掛けて逢いたかった。 女のひとからは次々と手紙が来る。正直に言えば、私はいつのまにか、その人に愛情を感じていた。とうとう先日、私は一ばんいい着物を着て、病院・・・ 太宰治 「誰」
・・・大石橋から十里、二日の路、夜露、悪寒、確かに持病の脚気が昂進したのだ。流行腸胃熱は治ったが、急性の脚気が襲ってきたのだ。脚気衝心の恐ろしいことを自覚してかれは戦慄した。どうしても免れることができぬのかと思った。と、いても立ってもいられなくな・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・そうしていよいよ寝込む頃にはもうだいぶ病気は亢進して危険に接近しているであろう。実際平生丈夫な人の中には、無理をして病気をこじらせるのを最高の栄誉と思っているのではないかと思われる人もあるようである。 自慢にならぬことを自慢するようで可・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ それは脳に徐々の出血があって、それがだんだんに蓄積して内圧を増す、それにつれて脈搏がはじめはだんだん昂進して百二十ほどに上がるが、それでも当人には自覚症状はない。それから脈搏がだんだん減少して行き、それが六十ぐらいに達したころに急に卒・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
出典:青空文庫