・・・ 人倫の大本は夫婦なり。夫婦ありて後に、親子あり、兄弟姉妹あり。天の人を生ずるや、開闢の始、一男一女なるべし。数千万年の久しきを経るもその割合は同じからざるをえず。また男といい女といい、ひとしく天地間の一人にて軽重の別あるべき理なし。・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・ゆめゆめあるまじき事にして、徹頭徹尾、恕の一義を忘れず、形体こそ二個に分かれたれども、その実は一身同体と心得て、始めて夫婦の人倫を全うするを得べし。故に夫婦家に居るは人間の幸福快楽なりというといえども、本来この夫婦は二個の他人の相合うたるも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・せられ候わば、鉄壁なりとも乗り取り申すべく、あの首を取れと仰せられ候わば、鬼神なりとも討ち果たし申すべくと同じく、珍らしき品を求め参れと仰せられ候えば、この上なき名物を求めん所存なり、主命たる以上は、人倫の道に悖り候事は格別、その事柄に立入・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・と仰せられ候わば、鉄壁なりとも乗取り申すべく、あの首を取れと仰せられ候わば、鬼神なりとも討果たし申すべくと同じく、珍らしき品を求め参れと仰せられ候えば、この上なき名物を求めん所存なり、主命たる以上は、人倫の道に悖り候事は格別、その事柄に立入・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・羅山はそれ以前から熱心な仏教排撃者であって、そういう論文をいくつか書いているが、それによると、解脱は一私事であって、人倫の道の実現ではない、というのである。同時にまた彼は熱心なキリシタン排撃者であって、仕官の前年に『排耶蘇』を書いている。松・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・儒教は自己の身命を「人倫の道」に捧げよと命ずる。すべての詔勅もまたこの精神によって人々の範とすべき道を説いている。皇室はこの「道」の代表者である。父が宣伝しようとするのはこの事の他にない。 そこで小生は父が上京してこの宣伝を始めた場合の・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫