・・・即ち今の有婦の男子が花柳に戯るゝが如き不品行を警しめたるものならんなれども、人間の死生は絶対の天命にして人力の及ぶ所に非ず。昨日の至親も今日は無なり。既に無に帰したる上は之を無として、生者は生者の謀を為す可し。死に事うること生に事うるが如し・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・「僕は二時半の東海道線だが、尤も本所へも寄って行きたいのだが、本所はずれまで人力で往復しては日が暮れてしまうからネ。」「本所へ行くなら高架鉄道に乗ればよい。」「そうか。高架鉄道があるのだネ。そりゃ一番乗って見よう。君この油画はどうだ非常にま・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・自分は拭折詰の御馳走を喰うて、珍しく畳の上に寐て待って居ると午後三時頃に万歳万歳、という声が家を揺かして響いた。これは放免になった歓びの叫びであった。この時の嬉しさは到底いう事も出来ぬ。自分は人力車で神戸の病院へ行くつもりであったから、肩に・・・ 正岡子規 「病」
・・・又異教派の方にも大分諸方から鉄道などでお出でになった方もあるようでありますが鉄道で一番自然なこと則ちなるべく人力を加えないようにしまするならば衝突や脱線や人を轢いたりするなどがいいようであります。そんならそれでいいではないかポイントマンだの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 杉林や空地はどれも路の右側を占めていて、左側には、団子坂よりの人力宿からはじまって、産婆のかんばんのかかった家などこまごまと通って、私たちが育った家から奥の動坂よりには、何軒も代々の植木屋があった。 うちの前も善ちゃんという男の子・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・と大きな声で一人ごちて道のまんなかに突ったってちょうちんや幕のはなやかにかざってあるのを見まわして居る。人力が来た。リンをチリンチリンとならして走って来た。彼はつんぼだからきこえないのだろう、まだぼんやりと見まわして居る。私は大急で走けつけ・・・ 宮本百合子 「心配」
・・・道を歩いても、ポツリポツリとほか人に会わなかったり、たまにガラガラ人力がすれ違う位では、のびやかだと云うのも一月位で、あとは、物足りない、何となく隙のある様な感じを与えられる。眠ったまま正月もたって行く。羽子を突く音もしなければ、凧のうなり・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・農業そのものの方法から日本では極度に人力が要求されていて、その上現代の社会経済に対抗して生計を立ててゆくためにはあらゆる方法で多角な経営が必要となって来る。主人の労力は昼夜のわかちなく求められて、農繁期に机に向うことなどは思いもよらない。冬・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
・・・そういう巨石を数多くあの丘の上まで運んで来るためには、どれほどの人力を要したかわからない。その巨大な人力が凝ってあの城壁となっているのである。その点においてはエジプトのピラミッドもローマのコロセウムも大阪城に及ばない(。しかもそういう巨大な・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・それは宿命ですから。人力のいかんともしがたいものですから。しかし私は、その成長が歪になることだけを、非常に恐れています。一切の芽がその当然成長すべきだけ成長しないのは、確かに罪悪です。それは当人の罪であるばかりでなく、また傍にいて救いの手を・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫