・・・ところが、その翌る年の七月二十四日の陶器祭、この日は瀬戸物町に陶器作りの人形が出て、年に一度の賑いで、私の心も浮々としていたが、その雑鬧の中で私はぱったり文子に出くわしました。母親といっしょに祭見物に来ていたのです。文子は私の顔を見ても、つ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・そしてその形骸は影の彼に導かれつつ、機械人形のように海へ歩み入ったのではないでしょうか。次いで干潮時の高い浪がK君を海中へ仆します。もしそのとき形骸に感覚が蘇えってくれば、魂はそれと共に元へ帰ったのであります。哀れなるかな、イカルス・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・礼ちゃんが新橋の勧工場で大きな人形を強請って困らしたの、電車の中に泥酔者が居て衆人を苦しめたの、真蔵に向て細君が、所天は寒むがり坊だから大徳で上等飛切の舶来のシャツを買って来たの、下町へ出るとどうしても思ったよりか余計にお金を使うだの、それ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・すると、包囲線をめがけて走せて来る汚れた短衣や、縁なし帽がバタバタ人形をころばすようにそこに倒れた。「無茶なことに俺等を使いやがる!」栗本は考えた。 傾斜面に倒れた縁なし帽や、ジャケツのあとから、また、ほかの汚れた短衣やキャラコの室・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・おげんはそこに眠っている人形の側でも離れるようにして、自分の娘の側を離れた。蚊帳を出て、部屋の雨戸を一二枚ほど開けて見ると、夏の空は明けかかっていた。「漸く来た。」 とおげんは独りでそれを言って見た。そこは地方によくあるような医院の・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ほかの狐が箱にはいって城下の人形屋から来て、ふたたび店に立ったのはついこの間の事である。今度のは大きさも鼬ぐらいしかないし、顔も少し趣を変えるように注文したのであろうけれど、「なんぼどのような狐を拵えてきたところで、お孝ちゃんの顔が元の・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・好いわ。そして子供でも出来ようもんなら、それは好くってよ。そんなことはお前さんには分からないわね。御覧よ。内のちび達にこれを遣るのだわ。これがリイザアのよ。好い人形でしょう。目をくるくる廻して、首がどっちへで・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・聖ヨハネ祭の夜宮には人形のリザが、その花の中でいい夢を見てねむるんです。 こんなふうにおもしろく、二人は苦労もわすれて歩きました。もう赤楊の林さえぬければ、「日の村」へ着くはずでした。やがて二人は丘を登って右に曲がろうとすると、そこにま・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、頗る興奮した。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫