・・・旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのを・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・ 三 海、また湖へ、信心の投網を颯と打って、水に光るもの、輝くものの、仏像、名剣を得たと言っても、売れない前には、その日一日の日当がどうなった、米は両につき三升、というのだから、かくのごとき杢若が番太郎小屋にただ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・跣足が痛わしい、お最惜い……と、てんでに申すんですが、御神体は格段……お仏像は靴を召さないのが多いようで、誰もそれを怪まないのに、今度の像に限って、おまけに、素足とも言わない、跣足がお痛わしい――何となく漂泊流離の境遇、落ちゅうどの様子があ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・寺の本堂、廊下、仏像なども立体的に、いろいろな角度や、光りでとれるからだ。それは『アジアの嵐』などでもわかる。どこかですぐれた監督が映画にするといいと思う。一昨年PCLから申込みがあったが、どうしたわけかそのままになっている。 芝居では・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・お寺の中で仏像を拝むことと考えては違う。念仏の心が裏打ちしていれば、自由競争も、戦術も、おのずと相違してくるのである。この外側からはわからない内側の心持の世界というものが、限りない深さと広がりとのあるもので、それが信仰の世界である。そしてそ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・今度の仏像は御首をしくじるなんと予感して大にショゲていても、何のあやまちも無く仕上って、かえって褒められたことなんぞもありました。そう気にすることも無いものサ。」と云いかけて、ちょっと考え、「いったい、何を作ろうと思いなすったのか、・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・しかし観行院様はまた洒落たところのあった方で、其当時私に太閤が幼少の時、仏像を愚弄した話などを仕てお聞かせなさった事もありました。然し後年、左様私が二十一歳の時、旅から帰って見たら、足掛三年ばかりの不在中に一家悉く一時耶蘇教になったものです・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ 考えてみると、僕たちだって、小さい時からお婆さんに連れられてお寺参りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお経を聞き、また国宝の仏像を見て歩いたりしているが、さて、仏教とはどんな宗教かと外国の人に改って聞かれたら、百人の中の九十九・・・ 太宰治 「世界的」
・・・というのは亡兄の遺作に亡兄みずから附したる名前であって、その青色の二尺くらいの高さの仏像は、いま私の部屋の隅に置いて在るが、亡兄、二十七歳、最後の作品である。二十八歳の夏に死んだのだから。 そういえば、私、いま、二十七歳。しかも亡兄のか・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・天平時代の仏像の顔であって、しかも股間の逸物まで古風にだらりとふやけていたのである。太郎は落胆した。仙術の本が古すぎたのであった。天平のころの本であったのである。このような有様では詮ないことじゃ。やり直そう。ふたたび法のよりをもどそうとした・・・ 太宰治 「ロマネスク」
出典:青空文庫