・・・この肥った客の出現以来、我々三人の心もちに、妙な狂いの出来た事は、どうにも仕方のない事実だった。 客は註文のフライが来ると、正宗の罎を取り上げた。そうして猪口へつごうとした。その時誰か横合いから、「幸さん」とはっきり呼んだものがあった。・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・私と妹とは立止って仕方なく波の来るのを待っていました。高い波が屏風を立てつらねたように押寄せて来ました。私たち三人は丁度具合よくくだけない中に波の脊を越すことが出来ました。私たちは体をもまれるように感じながらもうまくその大波をやりすごすこと・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・しかしそれは仕方がない。身体一つならどうでも可いが、机もあるし本もある。あんな荷物をどっさり持って、毎日毎日引越して歩かなくちゃならないとなったら、それこそ苦痛じゃないか。A 飯のたんびに外に出なくちゃならないというのと同じだ。B ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ と膝をすっと手先で撫でて、取澄ました風をしたのは、それに極った、という体を、仕方で見せたものである。 「串戯じゃない。」と余りその見透いた世辞の苦々しさに、織次は我知らず打棄るように言った。些とその言が激しかったか、「え。」と・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・仕事の習い始めは、随分つらいもんだけど、それやだれでもだから仕方がないさ。来年はだれにも負けなくなるさ」 兄夫婦は口小言を言いつつ、手足は少しも休めない。仕事の習い始めは随分つらいもんだという察しがあるならば、少しは思いやってくれてもよ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「だッて、来てくれなきゃア仕方がないじゃアないか?」吉弥はふくれッ面をした。「おッ母さんが来たら、方をつけるというから、早く来いと言ってやったんじゃアないか?」「おッ母さんだッて、いろんな用があるよ。お前の妹だッて、また公園で出なけ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・然るに先方は既に一家を成した大家であるに、ワザワザ遠方を夜更けてから、挨拶に来られたというは礼を尽した仕方で、誠に痛み入って窃に赤面した。 早速社へ宛てて、今送った原稿の掲載中止を葉書で書き送ってその晩は寝ると、翌る朝の九時頃には鴎外か・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ドウモ仕方がないから、そのことをカーライルにいった。そのときにカーライルは十日ばかりぼんやりとして何もしなかったということであります。さすがのカーライルもそうであったろうと思います。それで腹が立った。ずいぶん短気の人でありましたから、非常に・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・文化を名目とはするものゝ、珍らしい、特志の出版家でもないかぎり、出版は、資本主義機構上の企業であり、商業であり、商品であり、また今日の如く、大衆を顧客とするには、著者の趣味如何にかゝわらず、粗製濫造も仕方のないことになるのです。 一方、・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・ そやから、お習字やお花をして、慰めるより仕方あれしません。ところが、あの人はお習字やお花の趣味はちょっともあれしませんの」「お茶は成さるんですか」「恥かしいですけど、お茶はあんまりしてませんの。是非教わろうと思てるんですけど。――・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫