・・・このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人の之までの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・ 私のこれまでの四十年ちかい生涯に於いて、幸福の予感は、たいていはずれるのが仕来りになっているけれども、不吉の予感はことごとく当った。子わかれの場も、二度か三度、どころではなく、この数年間に、ほとんど一日置きくらいに、実にひんぱんに演ぜ・・・ 太宰治 「父」
・・・それぞれの家では先祖代々の仕来りに従って親から子、子から孫とだんだんに伝えて来たリセプトに拠って調味する。それが次第次第にダイヴァージして色々な変異を生じたではないかという気がする。とにかく他家の雑煮を食うときに「我家」と「他家」というもの・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・例えば私なら私が世の中の仕来りに反したことを、断言し、宣言し、そうしてそれを実行する。その時に、もしそれが根柢のない事を遣っているならば、如何に私自身にはそれが必然の結果であり、私自身には必要であろうとも、人間として他の人のためにならない。・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・けれども、そういうような便宜な習慣とでも云える仕来りのために、婦人の洋画家の芸術成長の可能性やそれに対する期待が一般にひくめられているとすれば、やっぱり残念だと思う。まして、大局ではマイナスの作用をしつつ、目前ともかくプラスである協力者をも・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・だから昔の殿様の家の仕来りがあるでしょう。こういう風にしてはいけない、こういう風でなくてはならない、こうであるべき筈のものという仕来りがたくさんございます。ところがひとり忠直卿という気象の少し激しい本当のことを知りたい人間が、可哀想なことに・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
一、芸術批評を本気な仕事とせず、おっつけで、仕来りになったから「月評」と云うものの権威は薄くなったのではありませんか。 二、純粋な動機で批評すれば、或る月には、或る作品について多く書かれ、又、或る月は、沈黙であると云う・・・ 宮本百合子 「純粋な動機なら好い」
・・・そして小説の様式も従来の小説というものの仕来りに準じている。読者は、作者の生きている境遇の烈しさをおのずから念頭においているから、題材だけ異ってあとは机の上でも書けそうな小説に面して、ある物足りなさと疑問とを感じたのは肯ける。戦争の間にそれ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 始めは、真心から発した感情の表現も、時を経実感が失せた時には、空疎な仕来りとなってしまいます。その上に生ずる蛆が出来る。現在米国でも、相当の知識階級の、青年男女は、殆ど滑稽な外観のレディファーストを決して誇ってはいないのです。 彼・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・すべての男たちが、自分たちの仕来りを考え、狩りのえものの分量を考え、それを女と二人で食って生活する小舎の暮しを思い、一対の弓矢ばかりが、そんなにいくつもの夜から朝へとかけられたままになっていることはあり得ないと判断した。そこで会議がひらかれ・・・ 宮本百合子 「貞操について」
出典:青空文庫