・・・十年前だった、塚原靖島田三郎合訳と署した代数学だか幾何学だかを偶然或る古本屋で見附けた。余り畑違いの著述であるのを不思議に思って、それから間もなく塚原老人に会った時に訊くと、「大変なものを見附けられた。アレはネ……」と渋柿園老人は例の磊落な・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・低能のひとり娘に代数を教えていたんだ。僕だって、教えるほど知ってやしない。教えながら覚えるという奴さ。そこは、ごまかしが、きくんだけども、幇間の役までさせられて、」ふっと口を噤んだ。 第三回 茶店の老婆が、親子ど・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・円の面積を算出する公式も、鶴亀算の応用問題の式も、甚だ心もとなくいっそ代数でやればできるのだが、などと青息吐息の態とやや似ている。 いろいろ複雑にくすぐったく、私は、恥ずかしい思いである。 スタートラインに並んで、未だ出発の合図のピ・・・ 太宰治 「答案落第」
・・・ある時彼の伯父に当る人で、工業技師をしているヤーコブ・アインシュタインに、代数学とは一体どんなものかと質問した事があった。その時に伯父さんが「代数というのは、あれは不精もののずるい計算術である。知らない答をXと名づけて、そしてそれを知ってい・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・中学で教わった数学は、三角でも代数でも、いったいどこがおもしろいのかちっともわからなかったが、田丸先生に教わってみると中学で習ったものとはまるでちがったもののように思われて来た。先生に言わせると、数学ほど簡単明瞭なものはなくて、だれでも正直・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・ 水の流れや風の吹くのを見てもそれは決して簡単な一様な流動でなくて、必ずいくらかの律動的な弛張がある、これと同じように生物の発育でも決して簡単な二次や三次の代数曲線などで表わされるようなものではない。 例えば昆虫の生涯を考えても、卵・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・それで Wimbledon Common にあった George Murray という人の私塾のような学校に入って、そこで代数や三角や静力学初歩を教わったが、その頃からもう彼の優れた学才が芽を出して師を感嘆させた。同時にいたずら好きの天分を・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前の水門、本所の百本杭、代地の料理屋の桟橋、橋場の別荘の石垣、あるいはまた小松島、鐘ヶ淵、綾瀬川なぞの蘆の茂りの蔭に舟をつないで、代数や幾何学の宿題を考えた事もあった。同・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ その教室を出て、もう一つの教室へ行くと、そこでは若い生徒ではない、もう四十五十の小父さん小母さんが十人ばかり、むきな顔をして代数の勉強をやっていた。職場で働いているが、こういう人々はもっと自分の技術を高めて、ソヴェト同盟が最も必要とし・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・ターニャは暇があると当直室の机へむき出しの腕をおっつけて代数を勉強した。毎晩六時から十一時まで彼女はブハーリンの名におけるモスクワ大学の労働科で、革命がブルジョアの独占からプロレタリアートに向って解放した文化を吸収しているのだ。 朝、床・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
出典:青空文庫