・・・折柄、悪いところへ巡査が通り掛っても、丹造はひるまず折合ったところで、一円以下ではなかなかケリをつけなかった。当時、溝の側から貝塚まで乗せて三十六銭が相場で、九十銭くれれば高野山まで走る俥夫もざらにいた。 しかし、間もなく朦朧俥夫の取締・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・たいていは二流以下のまま死んで行く。自分もまたその一人かと、新吉の自嘲めいた感傷も、しかしふと遠い想いのように、放心の底をちらとよぎったに過ぎなかった。 ただ、ぼんやりと坐っていた。うとうとしていたのかも知れない。電車のはいって来た音も・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・この少年は数学は勿論、その他の学力も全校生徒中、第二流以下であるが、画の天才に至っては全く並ぶものがないので、僅に塁を摩そうかとも言われる者は自分一人、その他は、悉く志村の天才を崇め奉っているばかりであった。ところが自分は志村を崇拝しない、・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 軍人は軍人で、殊に下士以下は人の娘は勿論、後家は勿論、或は人の妻をすら翫弄して、それが当然の権利であり、国民の義務であるとまで済ましていたらしい。 三円借せ、五円借せ、母はそろそろ自分を攻め初めた。自分は出来るだけその望に応じて、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 学生は大体に見て二十五歳以下の青年である。二十五歳までに青年がその童貞を保持するに耐えないという理拠があるであろうか。また本人の一生の幸福から見て、そうすることが損失であろうか。私は経験から考えてそうは思われない。女を知ることは青春の・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ で、以下は、労働祭のことではない。五月一日に農村であったことである。 香川県は、全国で最も弾圧のひどい土地だ。第一回の普選に大山さんが立候補した。その時、強力だった農民組合が叩きつぶされた。そのまゝとなっている。 なんにも・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・これが、わたくしの運命である。以下すこしくわたくしの運命観を語りたいと思う。 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ そのために東京、横浜、横須賀以下、東京湾の入口に近い千葉県の海岸、京浜間、相模の海岸、それから、伊豆の、相模なだに対面した海岸全たいから箱根地方へかけて、少くて四寸以上のゆれ巾、六寸の波動の大震動が来たのです。それが手引となって、東京・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・と笑わずに言って、次のように田舎の秘話を語り聞かせてくれた。以下「私」というのは、その当年三十七歳の名誉職御自身の事である。 今だから、こんな話も公開できるのですが、当時はそれこそ極秘の事件で、この町でこの事件に就いて多少でも知って・・・ 太宰治 「嘘」
・・・いや、三十七歳の今日、こうしてつまらぬ雑誌社の社員になって、毎日毎日通っていって、つまらぬ雑誌の校正までして、平凡に文壇の地平線以下に沈没してしまおうとはみずからも思わなかったであろうし、人も思わなかった。けれどこうなったのには原因がある。・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫