伊達の薄着
厚着をすると格好が悪くなるので寒くても見えをはって薄着をすること。
だてそうどう【伊達騒動】
江戸初期、仙台藩伊達家に起こったお家騒動。万治3年(1660)藩主伊達綱宗は不行跡のかどで幕府から隠居を命ぜられ、幼少の綱村が家督を相続。その後見役伊達兵部宗勝が家老原田甲斐宗輔らと宗家横領を企てたとして、伊達安芸宗重が幕府に訴えた。寛文11年(1671)大老酒井忠清邸での評定の席で宗重は宗輔に斬られ、宗輔も殺害された。「伽羅先代萩 (めいぼくせんだいはぎ) 」など、歌舞伎・浄瑠璃の題材となった。
だてちひろ【伊達千広】
[1802〜1877]幕末の歌人・国学者。和歌山藩士。陸奥宗光の実父。号は自得。藩の重職として財政改革を推進したが失脚、脱藩して公武合体を画策した。著作に「大勢三転考」などがある。
だてまさお【伊達正男】
[1911〜1992]野球選手・指導者。大阪の生まれ。早大では捕手兼投手として投打に活躍。卒業後は社会人野球チームの全大阪に入り、都市対抗野球でチームを優勝に導く。戦後、同球団の選手兼任監督。阪急ブレーブス(オリックスの前身)のピッチングコーチも務めた。
だてまさむね【伊達政宗】
[1567〜1636]安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。出羽の人。畠山・蘆名氏を倒して奥州を制覇。のち、豊臣秀吉に仕えて朝鮮に出陣。関ヶ原の戦い・大坂の陣には徳川方につき仙台藩の基礎を固めた。キリシタンに関心をもち、支倉常長 (はせくらつねなが) をローマに派遣。幼時に右眼を失明し独眼竜と称された。
だてむねなり【伊達宗城】
[1818〜1892]江戸末期から明治初期の政治家。伊予宇和島藩主として、島津久光・山内豊信 (とよしげ) らと公武合体を推進。維新後は民部卿兼大蔵卿、清国への欽差 (きんさ) 全権大使などを歴任した。