・・・って、かの友人の許へ駈けつけ、簡単にわけを話し、十円でもって、そのあずけてあるところから取り戻し、それから、シャツ、ネクタイ、帽子、靴下のはてまで、その友人から借りて、そうして、どうやら服装が調うた。似合うも似合わぬもない、常識どおりの服装・・・ 太宰治 「花燭」
・・・山高帽子が似合うようでは、どだい作家じゃない。僕は、この秋から支那服着るのだ。白足袋をはきたい。白足袋はいて、おしるこたべていると泣きたくなるよ。ふぐを食べて死んだひとの六十パアセントは自殺なんだよ。君、秘密は守って呉れるね? 藤村先生の戸・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・この傘には、ボンネット風の帽子が、きっと似合う。ピンクの裾の長い、衿の大きく開いた着物に、黒い絹レエスで編んだ長い手袋をして、大きな鍔の広い帽子には、美しい紫のすみれをつける。そうして深緑のころにパリイのレストランに昼食をしに行く。もの憂そ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・紺絣には、あのほうが似合うでしょう。」 家内には、私のその時の思いつめた意気込みの程が、わからない。よく説明してやろうかと思ったが、面倒臭かった。「仙台平、」と、とうとう私まで嘘をついて、「仙台平のほうが、いいのだ。こんなに雨が降っ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・サビガリさんが、よく似合う。いつも、小説ばっかり書いているおじさん。けさほどは、お葉書ありがとう。ちょうど朝御飯のとき着きましたので、みんなに読んであげました。そんなに毎日毎日チクチク小説ばっかり書いてらしたら、からだを悪くする。ぜひ、スポ・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・附け鬚模様の銀鍍金の楯があなたによく似合うそうですよ。いや、太宰さんは、もう平気でその楯を持って構えていなさる。僕たちだけがまるはだかだ」「へんなことを言うようですけれども、君はまるはだかの野苺と着飾った市場の苺とどちらに誇りを感じます・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・実にその笑い声はその先生によく似合う。 あの作品の読者が、例えば五千人いたとしても、イヒヒヒヒなどという卑穢な言葉を感じたものはおそらく、その「高尚」な教授一人をのぞいては、まず無いだろうと私には考えられる。光栄なる者よ。汝は五千人中の・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・「そんなんじゃないのよ。」さちよは、暗闇の中で、とてもやさしく微笑んだ。「あたし、巴御前じゃない。薙刀もって奮戦するなんて、いやなこった。」「似合うよ。」「だめ。あたし、ちびだから、薙刀に負けちゃう。」 ふふ、と数枝は笑った・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・雨催の空濁江に映りて、堤下の杭に漣れんい寄するも、蘆荻の声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、渡番小屋にペンキ塗の広告看板かゝりては簑打ち払う風流も似合うべくもあらず。今戸の渡と云う名ばかりは流石に床し。山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・華族や金持がほれば似合うかも知れないが、僕にはそんなものは向かない。荒木又右衛門だって、ほっちゃいまい」「荒木又右衛門か。そいつは困ったな。まだそこまでは調べが届いていないからね」「そりゃどうでもいいが、ともかくもあしたは六時に起き・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫