・・・ブース大将の母、後藤新平の母、佐野勝也の母などもそうである。また貧しい家庭では、たとい父親のある場合でも、母親は子どもの養、教育の費用のために犠牲的に働くのだ。それが母子の愛を深め、感謝と信頼との原因となるのはいうまでもない。愛してはくれる・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・彼の芝居で演じます『籠つるべ』の主人公の佐野治郎左衛門なぞという人物は、ちょうどこの左母二郎の正反対の人物に描いてありまして、正直な、無意気な、生野暮な男なのであります。しかるにその脚本にはその田舎くさい、正直なのを同情するよりは、嘲笑する・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・淋しいだろうと云うので、泊りにきていた親類の佐野さんや吉本さんが、重ね重ねのことなので、強こうに反対した。だが、お前の母は、「この仕事をしている人達は死んでも場所のことなどは云わないものだから、少しも心配要らない。」と云った。 山崎のガ・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・ 友人たちは私を呼ぶのに佐野次郎左衛門、もしくは佐野次郎という昔のひとの名でもってした。「さのじろ。――でも、よかった。そんな工合いの名前のおかげで、おめえの恰好もどうやらついて来たじゃないか。ふられても恰好がつくなんてのは、てんか・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
佐野君は、私の友人である。私のほうが佐野君より十一も年上なのであるが、それでも友人である。佐野君は、いま、東京の或る大学の文科に籍を置いているのであるが、あまり出来ないようである。いまに落第するかも知れない。少し勉強したら・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・今はもう皆故人となった佐野さん須藤さん大谷さんなどの諸先輩の快活で朗かな論争もその当時のコロキウムの花であった。アインシュタインの相対性原理の最初の論文を当時講師であった桑木さんが紹介され、それが種となって議論の花を咲かせたのもその頃の事で・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・ 大正四、五年頃、今は故人となった佐野静雄博士から伊豆伊東の別荘に試植するからと云って土佐の楊梅の苗を取寄せることを依頼された。郷里の父に頼んで良種を選定し、数本の苗を東京へ送ってもらった。これがさらに佐野博士の手で伊東に送られ移植され・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・室の入口の外の廊下には色々の人声がしていた、長岡先生のいつものような元気のいい改まった言葉も聞えた、真鍋さんが何か云うと佐野さんの愉快そうに笑う声も聞えた。金子さんも時々見に来てくれて親切に世話をやいてくれた。三浦内科に空室があるので午後三・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・番頭にここに佐野という人が下宿しているはずだがと聞くと番頭はおじぎを二つばかりして、佐野さんは先だってまでおいでになりましたが、ついこのあいだお引き移りになりましたと言う。けしからんことだと思いながらも、なお引っ越し先の模様を尋ねてみると、・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・一九三三年の佐野、鍋山の転向を筆頭とする大腐敗の徴候は、一九三二年三月のプロレタリア文化団体への弾圧以後、次第に日和見的な態度として文学団体の中へもあらわれて来ていたことの証拠である。「一連の非プロレタリア的作品」に対する自己批判として・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
出典:青空文庫