・・・「私の占いは五十年来、一度も外れたことはないのですよ。何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをなさるのですからね」 亜米利加人が帰ってしまうと、婆さんは次の間の戸口へ行って、「恵蓮。恵蓮」と呼び立てました。 その声に応じて出・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・「引き上げの朝、彼奴に遇った時には、唾を吐きかけても飽き足らぬと思いました。何しろのめのめと我々の前へ面をさらした上に、御本望を遂げられ、大慶の至りなどと云うのですからな。」「高田も高田じゃが、小山田庄左衛門などもしようのないたわけ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・腰から上をのめるように前に出して、両手をまたその前に突出して泳ぐような恰好をしながら歩こうとしたのですが、何しろひきがひどいので、足を上げることも前にやることも思うようには出来ません。私たちはまるで夢の中で怖い奴に追いかけられている時のよう・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・そして事務所では金の借貸は一切しないから縁者になる川森からでも借りるがいいし、今夜は何しろ其所に行って泊めてもらえと注意した。仁右衛門はもう向腹を立ててしまっていた。黙りこくって出て行こうとすると、そこに居合わせた男が一緒に行ってやるから待・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 何しろ、家の焼けた年でしょう。あの焼あとというものは、どういうわけだか、恐しく蚊が酷い。まだその騒ぎの無い内、当地で、本郷のね、春木町の裏長屋を借りて、夥間と自炊をしたことがありましたっけが、その時も前の年火事があったといって、何年に・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・「己は、魚の腸から抜出した怨霊ではねえかと思う。」 と掴みかけた大魚腮から、わが声に驚いたように手を退けて言った。「何しろ、水ものには違えねえだ。野山の狐鼬なら、面が白いか、黄色ずら。青蛙のような色で、疣々が立って、はあ、嘴が尖・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・母はもう半気違いだ。何しろここでは母の心を静めるのが第一とは思ったけれど、慰めようがない。僕だっていっそ気違いになってしまったらと思った位だから、母を慰めるほどの気力はない。そうこうしている内にようやく母も少し落着いてきて、また話し出した。・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・きの茶畑を拓き、西洋型の船に擬えた大きな小屋を建て、舷側の明り窓から西洋の景色や戦争の油画を覗かせるという趣向の見世物を拵え、那破烈翁や羅馬法王の油画肖像を看板として西洋覗眼鏡という名で人気を煽った。何しろ明治二、三年頃、江漢系統の洋画家で・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 何しろ社交上の礼儀も何も弁えない駈出しの書生ッぽで、ドンナ名士でも突然訪問して面会出来るものと思い、また訪問者には面会するのが当然で、謝絶するナゾとは以ての外の無礼と考えていたから、何の用かと訊かれてムッとした。「何の用事もありま・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「品物といって――何しろ着のみ着のままで……」「さっきお前さんが持って上った日和下駄、あれは桐だね。鼻緒は皮か何だね。」「皮でしょう。」「お見せ。」 寝床の裾の方の壁ぎわに置いてあったのを出して見せると、上さんはその鼻緒・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫