・・・ その証拠には今日になると、一度に何人かの信徒さえ出来た。やがてはこの国も至る所に、天主の御寺が建てられるであろう。」 オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径を歩いて行った。すると誰か後から、そっと肩を打つものがあった。彼はすぐに・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ 香の煙の立ち昇る中に、冠の珠玉でも光らせながら、蓮の花か何か弄んでいれば、多少の鼻の曲りなどは何人の眼にも触れなかったであろう。況やアントニイの眼をやである。 こう云う我我の自己欺瞞はひとり恋愛に限ったことではない。我々は多少の相違さ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・あれは何人もの接吻の為に……」 僕はふと口を噤み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬を貼りつけていた。「何人もの接吻の為に?」「そんな人のように思いますがね」 彼は微笑して頷いていた。僕は彼の内心では・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・青き袷に黒き帯して瘠せたるわが姿つくづくとみまわしながら寂しき山に腰掛けたる、何人もかかる状は、やがて皆孤児になるべき兆なり。 小笹ざわざわと音したれば、ふと頭を擡げて見ぬ。 やや光の増し来れる半輪の月を背に、黒き姿して薪をば小脇に・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・を暗がりにして、二人が各手に一冊宛本を持って向合いの隅々から一人宛出て来て、中央で会ったところで、その本を持って、下の畳をパタパタ叩く、すると唯二人で、叩く音が、当人は勿論、襖越に聞いている人にまで、何人で叩くのか、非常な多人数で叩いている・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・老なる問題は他人の問題ではない、老は人生の終焉である。何人もまぬかるることのできない、不可抗的の終焉である。人間はいかにしてその終焉を全うすべきか、人間は必ず泣いて終焉を告げねばならぬものならば、人間は知識のあるだけそれだけ動物におとるわけ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・毎日門前に商人が店を出したというほど流行したが、実収の多いに任して栄耀に暮し、何人も妾を抱えて六十何人の児供を産ました。その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって、妙齢になって御殿奉公から下がると降るほどの縁談が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そうかと思うと一方には、代がわりした『毎日新聞』の翌々日に載る沼南署名の訣別の辞のゲラ刷を封入した自筆の手紙を友人に配っている。何人に配ったか知らぬが、僅に数回の面識しかない浅い交際の私の許へまで遣したのを見るとかなり多数の知人に配ったらし・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・しかし、何人も、彼女の苦しい胸のうちを知るものがなかったのです。北国の三月は、まだ雪や、あられが降って、雲行きが険しかったのであります。あわれな娘の兄は、こうした寒い日にも、生活のために、沖へ出て漁をしていました。ちらちらと、横なぐりに、雪・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
思想問題とか、失業問題とかいうような、当面の問題に関しては、何人もこれを社会問題として論議し、対策をするけれど、老人とか、児童とかのように、現役の人員ならざるものに対しては、それ等の利害得失について、これを忘却しないまでも、兎角、等閑・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
出典:青空文庫