・・・にすぎないことを教えてくれた。何処へ行って見ても、同じような人間ばかり住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。田舎のどこの小さな町でも、商人は店先で算盤を弾きながら、終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・そぼうな扮装の、髪はぼうぼうと脂気の無い、その癖、眉の美しい、悧発そうな眼付の、何処にも憎い処の無い人でした。それに生れて辛っと五月ばかしの赤子さんを、懐裏に確と抱締めて御居でなのでした。此様女の人は、多勢の中ですもの、幾人もあったでしょう・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・是れも男子の自から慎しむには非ずして、実は婦人の柔和温順、何処となく犯す可らざるものあるが故ならん。啻に男女の間のみならず、男子と男子との争にも婦人の仲裁を以て波瀾を収めたるの例は、世人の常に見聞する所ならずや。畢竟女性和順の徳に依ることな・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・何だかこの往来、この建物の周囲には、この世に生れてから味わずにしまった愉快や、泣かずに済んだ涙や、意味のないあこがれや、当の知れぬ恋なぞが、靄のようになって立ち籠めているようだ。何処の家でも今燈火を点けている。そうすると狭い壁と壁との間に迷・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・縮緬の涎掛を上げます、というお願をかけた、すると地蔵様が、汝の願い聞き届ける、大願成就、とおっしゃった、大願成就と聞いて、犬は嬉しくてたまらんので、三度うなってくるくるとまわって死んでしもうた、やがて何処よりともなく八十八羽の鴉が集まって来・・・ 正岡子規 「犬」
・・・「何処さ行ぐのす。」そうだ、釜淵まで行くというのを知らないものもあるんだな。〔釜淵まで、一寸三十分ばかり。〕おとなしい新らしい白、緑の中だから、そして外光の中だから大へんいいんだ。天竺木綿、その菓子の包みは置いて行ってもいい。雑嚢や何か・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 武者小路氏はルオウの画がすきで、この画家が何処までも自分というものを横溢させてゆく精力を愛している。そういう主観の肯定が日本の地味と武者小路氏という血肉とを濾して、今日どういうものと成って来ているか。 そこには『白樺』がもたらした・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
・・・Rendez-vous をしたって、明日何処で逢おうなら、郵便で用が足る。しかし性急な変で、今晩何処で逢おうとなっては、郵便は駄目である。そんな時に電報を打つ人もあるかも知れない。これは少し牛刀鶏を割く嫌がある。その上厳めしい配達の為方が殺・・・ 森鴎外 「独身」
・・・河には山から筏が流れて来た。何処かの酒庫からは酒桶の輪を叩く音が聞えていた。その日婦人はまた旅へ出ていった。「いろいろどうもありがとうこざいまして。」 彼女は女の子の手を持って灸の母に礼をいった。「では御気嫌よろしく。」 赤・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・母親は「四万の倉の宝に代へて儲けたる子を、何処へ取り行くぞや」と言って追いかけたが、鷲は四か国の境の山岳の方へ姿を消してしまった。長者夫妻は非常な嘆きに沈んで、鷲が飛んで行ったその深山の中へ、子をさがしに分け入った。 玉王をさらった鷲は・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫