・・・仁右衛門は自分からいい出しながら、面白くない勝負ばかりしていた。何方に変るか自分でも分らないような気分が驀地に悪い方に傾いて来た。気を腐らせれば腐らすほど彼れのやまは外れてしまった。彼れはくさくさしてふいと座を立った。相手が何とかいうのを振・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・奥州筋近来の凶作にこの寺も大破に及び、住持となりても食物乏しければ僧も不住、明寺となり、本尊だに何方へ取納めしにや寺には見えず、庭は草深く、誠に狐梟のすみかというも余あり。この寺中に又一ツの小堂あり。俗に甲冑堂という。堂の書附には故将堂とあ・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・はてしもなく、何方を見まわしても高い波がうねうねとうねっています。そして、岩に砕けては、白い泡が立ち上っています。月が雲間から洩れて波の面を照らした時は、まことに気味悪うございました。 真暗な、星も見えない、雨の降る晩に、波の上から、蝋・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ 何方でも関わん。おれは臥る…… いやいや如何考えてみても其様な筈がない。味方は何処へ往ったのでもない。此処に居るに相違ない、敵を逐払って此処を守っているに相違ない。それにしては話声もせず篝の爆る音も聞えぬのは何故であろう? いや、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「君は何方なんです、牛と薯、エ、薯でしょう?」と上村は知った顔に岡本の説を誘うた。「僕も矢張、牛肉党に非ず、馬鈴薯党にあらずですなア、然し近藤君のように牛肉が嗜きとも決っていないんです。勿論例の主義という手製料理は大嫌ですが、さりと・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・妙なものでこう決定ると、サアこれからは長谷川と高山の競争だ、お梅さんは何方の物になるだろうと、大声で喋舌る馬面の若い連中も出て来た。 ところで大津法学士は何でも至急に結婚して帰京の途中を新婚旅行ということにしたいと申出たので大津家は無論・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・しかし今では川の様子が全く異いまして、大川の釣は全部なくなり、ケイズの脈釣なんぞというものは何方も御承知ないようになりました。ただしその時分でも脈釣じゃそう釣れない。そうして毎日出て本所から直ぐ鼻の先の大川の永代の上あたりで以て釣っていては・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・で、糸目の着加減を両かしぎというのにして、右へでも左へでも何方へでも遣りたいと思う方へ紙鳶が傾くように仕た上、近傍に紙鳶が揚って居ると其奴に引からめて敵の紙鳶を分捕って仕舞うので、左様甘く往くことばかりは無かったが、実に愉快で堪えられないほ・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・晩年には服装なぞも余り構わなかったし、身体は何方かと云えば痩せぎすな、少し肩の怒った人で、髪なぞは長くしていた。北村君の容貌の中で一番忘れられないのは、そのさもパッションに燃えているような、そして又考え深い眼であった。 明治年代に記憶す・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入っているからそう一口に判断を下してやる訳には行か・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫