・・・「だってそうじゃないかお前、今度の戦争だって日本の軍人が豪いから何時も勝つのじゃないか。軍人あっての日本だアね、私共は軍人が一番すきサ」 この調子だから自分は遂に同居説を持だすことが出来ない。まして品行の噂でも為て、忠告がましいこと・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ それで結極のべつ貧乏の仕飽をして、働き盛りでありながら世帯らしい世帯も持たず、何時も物置か古倉の隅のような所ばかりに住んでいる、従ってお源も何時しか植木屋の女房連から解らん女だ、つまり馬鹿だとせられていたのだ。 磯吉の食事が済むと・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・村長は四十何歳という分別盛りの男で村には非常な信用があり財産もあり、校長は何時もこの人を相談相手にしているのである。「貴公富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着かぬに問いかけた。「知っているとも、先刻倉蔵が・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ところが毎朝通る道筋の角に柳屋という豆腐屋がある、其処の近所に何時も何時も大きな犬が寐転んで居る。子供の折は犬が非常に嫌いでしたから、怖々に遠くの方を通ると、狗は却って其様子を怪んで、ややもすると吠えつく。余り早いので人通は少し、これには実・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・印度でも狐は仏典に多く見え、野干(狐とは少し異は何時も狡智あるものとなっている。祇尼天も狐に乗っているので、孔雀明王が孔雀の明王化、金翅鳥明王が金翅鳥の明王化である如く、祇尼天も狐の天化であろう。我邦では狐は何でもなかったが、それでも景戒の・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・――お前の妹は起き上がると、落付いて身仕度をした。何時もズロースなんかはいたことがないのに、押入れの奥まったところから、それも二枚取り出してきて、キチンと重ねてはいた。それから財布のなかを調べて懐に入れ、チリ紙とタオルを枕もとに置いた。そう・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「只今、金二十円送りましたから受け取って下さい。何時も御金のさいそくで私もほんとに困って居ります。母にも言うにゆわれないし、私の所からばかりなのですから、ほんとうにこまって居ります。母も金の方は自由でないのです。御金は粗末にせずにしんぼ・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・ 椎塚氏の絵には何時もながら閉口するが、しかしこの人は、別にこれらの絵を人に見せて賞めてもらうために描いているらしく見えないところを頼もしく思う。 この人の絵を見ていると、日常見馴れているものの中に潜んでいるグロテスクな分子を指・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・あの子が夜遊に出て帰らぬ時は、わたしは何時もここに立って真黒な外を眺めて、もうあの子の足音がしそうなものじゃと耳を澄まして聞いていて、二時が打ち三時が打ち、とうとう夜の明けた事も度々ある。それをあの子は知らなんだ。昼間も大抵一人でいた。盆栽・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・波多野さんが尋ねて来ましたが、その折なるほど女は斯うあってもいいと思わせるような瀟洒な姿であるにも拘らず、何時もよりはだいぶ痩せが見えていたので、そのことに就いて聞くと、只仕事が忙しいのと夏痩の結果であると答えていました。然し今から考えて見・・・ 宮本百合子 「有島さんの死について」
出典:青空文庫