・・・し 此老の忠心きようじつの如し 阿誰貞節凜として秋霜 也た知る泉下遺憾無きを ひつぎを舁ぐの孤児戦場に趁く 蟇田素藤南面孤を称す是れ盗魁 匹として蜃気楼堂を吐くが如し 百年の艸木腥丘を余す 数里の山河劫灰に付す 敗卒庭に聚ま・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・やがてその、熱いところを我慢して飲み、かねて習い覚えて置いた伝法の語彙を、廻らぬ舌に鞭打って余すところなく展開し、何を言っていやがるんでえ、と言い終った時に、おでんやの姉さんが明るい笑顔で、兄さん東北でしょう、と無心に言った。お世辞のつもり・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・『今戸心中』が明治文壇の傑作として永く記憶せられているのは、篇中の人物の性格と情緒とが余す所なく精細に叙述せられているのみならず、また妓楼全体の生活が渾然として一幅の風俗画をなしているからである。篇中の事件は酉の市の前後から説き起されて・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 昭和改元の年もわずか二三日を余すばかりの時、偶然の機会はまたもやわたくしをして同臭の二三子と共に、同じこの縁先から同じく花のない庭に対せしめた。嘗て初夏の夕に来り見た時、まだ苗であった秋花は霜枯れた其茎さえ悉く刈去られて切株を残すばか・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ 自分はもしかの形式美の詩人テオフィル・ゴオチエエが凡そ美しき宇宙の現象にして文辞を以ていい現わせないものはないといったように、詞藻の豊富に対して驚くべき自信を持っていたなら、自分は余す処なく霊廟の柱や扉の彫刻と天井や襖の絵画の一ツ一ツ・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ 写生文家は自己の精神の幾分を割いて人事を視る。余す所は常に遊んでいる。遊んでいる所がある以上は、写すわれと、写さるる彼との間に一致する所と同時に離れている局部があると云う意味になる。全部がぴたりと一致せぬ以上は写さるる彼になり切って、・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・したがって普通の場合には功罪が帳消しになって余す所は棒だけになります。いくら藤村の羊羹でもおまるの中に入れてあると、少し答えます。そのおまるたると否とを問わず、むしゃむしゃ食うものに至っては非常稀有の羊羹好きでなければなりません。あれも学才・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・みな貪慾に、ブルジョア文壇の完成した技術的遺産を新しい自分達の武器の一つとして利用しようとしている。余すところなく学び取ろうとしている。それは、プロレタリア大衆があらゆる技術を自分のものとしようとする旺んな意思の一つの現われだ。或る時期が来・・・ 宮本百合子 「文壇はどうなる」
・・・ゴーリキイにはこの生活は余すところなく愚かで、殺人的に退屈なように見えた。人々は言葉の上でだけ慈悲深く親切だが、実際の上では我知らず一般的な生活の秩序に屈服しているように思える。自分が尊敬し信じていたナロードニキの人達の暮しも例外でないとい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫