・・・いかにも十分十句のスピードの余勢を示した句で当時も笑ったが今思い出してもおかしくおもしろい。しかしこんな句にもどこか先生の頭の働き方の特徴を示すようなものがあるのである。たぶんやはりその時の句に、「たくだ呼んでつくばい据えぬ梅の花」というの・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・この頃になって、自分に親しかった、そうして自分の生涯に決定的な影響を及ぼしたと考えらるるような旧師や旧友がだんだんに亡くなって行く、その追憶の余勢は自然に昔へ昔へと遡って幼時の環境の中から馴染の顔を物色するようになる。そういう想い出の国の人・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・強いて空虚を充たそうとする自覚的努力の余勢がかえって空虚その物を引展ばすようにも思われた。これに反して振り返って見た月日の経過はまた自分ながら驚くほどに早いものに思われた。空漠な広野の果を見るように何一つ著しい目標のないだけに、昨日歩いて来・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・その折は雨も煙りも一度に揺れて、余勢が横なぐりに、悄然と立つ碌さんの体躯へ突き当るように思われる。草は眼を走らす限りを尽くしてことごとく煙りのなかに靡く上を、さあさあと雨が走って行く。草と雨の間を大きな雲が遠慮もなく這い廻わる。碌さんは向う・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・天明の隆盛を来たせしものその力最も多きにおる。天明の余勢は寛政、文化に及んで漸次に衰え、文政以後また痕迹を留めず。 和歌は万葉以来、新古今以来、一時代を経るごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵出でわずかにこれを挽回したり。真淵歿せしは蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・そしてその体裁をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余勢でもあろうか。 しかるにわたくしには初めより自己が文士である、芸術家であるという覚悟はなかった。また哲・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・慶長から元禄へかけて、すなわち十七世紀の間は、前代の余勢でまだ剛宕な精神や冒険的な精神が残っているが、その後は目に見えて日本人の創造活動が萎縮してくる。思想的情況もまたそうである。 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫