・・・――渡辺の橋の供養の時、三年ぶりで偶然袈裟にめぐり遇った己は、それからおよそ半年ばかりの間、あの女と忍び合う機会を作るために、あらゆる手段を試みた。そうしてそれに成功した。いや、成功したばかりではない、その時、己は、己が夢みていた通り、袈裟・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・来年からそれにさえ手を出さなければ、そして今年同様に働いて今年同様の手段を取りさえすれば、三、四年の間に一かど纏まった金を作るのは何でもないと思った。いまに見かえしてくれるから――そう思って彼れは冬を迎えた。 しかし考えて見ると色々な困・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・B 止めたかと思うとまた作る。執念深いところが有るよ。やっぱり君は一生歌を作るだろうな。A どうだか。B 歌も可いね。こないだ友人とこへ行ったら、やっぱり歌を作るとか読むとかいう姉さんがいてね。君の事を話してやったら、「あの歌人・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ あのあたり、あの空…… と思うのに――雲はなくて、蓮田、水田、畠を掛けて、むくむくと列を造る、あの雲の峰は、海から湧いて地平線上を押廻す。 冷い酢の香が芬と立つと、瓜、李の躍る底から、心太が三ツ四ツ、むくむくと泳ぎ出す。 ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 君が歌を作り文を作るのは、君自身でもいうとおり、作らねばならない必要があって作るのではなく、いわば一種のもの好き一時の慰みであるのだ。君はもとより君の境遇からそれで結構である。いやしくも文芸にたずさわる以上、だれでもぜひ一所懸命になっ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・天保の饑饉年にも、普通の平民は余分の米を蓄える事が許されないで箪笥に米を入れて秘したもんだが、淡島屋だけは幕府のお台を作る糊の原料という名目で大びらに米俵を積んで置く事が出来る身分となっていた。が、富は界隈に並ぶ者なく、妻は若くして美くしく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・僕いろいろな虫を採集して標本を造るんじゃないか。」 二郎さんは、はや、捕虫網を持ってきました。すると、突然お母さんが、「あのちょうを捕ってはいけませんよ。あの黒いちょうは、毎日いまごろ、ゆりの花に飛んでくるのです。お母さんは、とうか・・・ 小川未明 「黒いちょうとお母さん」
・・・と言って、女は無理に笑顔を作る。「え」と男は思わず目を見張って顔を見つめたが、苦笑いをして、「笑談だろう?」「あら、本当だよ。去年の秋嫁いて……金さんも知っておいでだろう、以前やっぱり佃にいた魚屋の吉新、吉田新造って……」「吉田・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・だから、人間の可能性を描くというような努力をむなしいものと思い、小説形式の可能性を追究して、あくまで不純であることが純粋小説だという意味の純粋小説を作るのは、低級な芸術活動だと思い、作者自身の身辺や心境を即かず離れずに過不足なく描写すること・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 永い間自分は用心して、子を造るまいと思ってきたのに――自然には敵わないなあ!――ちょうど一年前「蠢くもの」という題でおせいとの醜い啀み合いを書いたが、その時分もおせいは故意にかまた実際にそう思いこんだのか、やはり姙娠してると言いだ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫