・・・僕には作風をかえる上からも「私」が必要だったのです。といって、僕は私小説を書いたのではありません。また、坂田三吉を書いたのではありません。 この「私」の出し方と「文芸」九月号の出し方は、すこし違います。作中に「オダ」という人名が出て来ま・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・笠井さんだって、五、六年まえまでは、新しい作風を持っている作家として、二、三の先輩の支持を受け、読者も、笠井さんを反逆的な、ハイカラな作家として喝采したものなのであるが、いまは、めっきり、だめになった。そんな冒険の、ハイカラな作風など、どう・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・背後に、元老の鶴屋北水の頑強な支持もあって、その特異な作風が、劇壇の人たちに敬遠にちかいほどの畏怖の情を以て見られていた。さちよの職場は、すぐにきまった。鴎座である。そのころの鴎座は、素晴しかった。日本の知識人は、一様に、鴎座の努力を尊敬し・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・を発表し、ヨーロッパ風な教養と中流知識人の人道的な作風を示した。「焙烙の刑」その他で、女性の自我を主張し、情熱を主張していた田村俊子はその異色のある資質にかかわらず、多作と生活破綻から、アメリカへ去る前位であった。 こういう文学の雰囲気・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・作家の或るもの、例えばイワーノフなどは革命当時の活力と火花のようなテンポを失い、無気力でいやに念入りな、個人的な心理主義的作風に陥って行ったのである。 これは危い時代であった。質のよい、若いプロレタリアートは自分等の階級の本当の芸術的表・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 個々の作家についてみればそれぞれ異った作風、デカダンスの解釈とエロティシズムへの態度があるけれども、総体としてみて、今日、新しい人間性の確立がいわれている中で、デカダンス、エロティシズムの文学が流行していることについては注目の必要があ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・最も基本的な原因は、ゴーリキイの作風が、自分の雰囲気で濃く描こうとする現実をつつみ込む性質であったからだろうと思われます。リアリストであり、客観的に現実を描こうとしていても、それは、描かれたものがそのものの独自性で作品の現実関係の中に立ち現・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
・・・と、壺井栄さん独特の作風をもつ作品が生まれはじめた。これは、壺井栄さんが婦人作家のおちいりやすい技巧をこねまわした工夫の結果ではなかった。わたしは、むしろ、人間として女としての壺井栄さんが、ある意味で腹を立て、地声で、自分の言葉と云いまわし・・・ 宮本百合子 「壺井栄作品集『暦』解説」
・・・ 私は、婦人作家の中では独特な作風をもっていた田村俊子氏の、作家としての生活振りを思い出す。彼女は日本で極く短い期間にロマンチックな形で現れたインテリゲンツィアの婦人解放運動と前後して作家活動をはじめ、前の時代の自然主義の婦人作家が示さ・・・ 宮本百合子 「問に答えて」
・・・みんな文学の仕事をしていて、それぞれがそれぞれにちがう作風をもっていて、そこまで成長して来た生活の出発は、故郷がちがう以上まるで互に異っている。その三人が、東京が首府だから自然そこに落ちあったというばかりではない歴史の動きにめぐり合いの機会・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
出典:青空文庫