・・・自分の能力を計らないで六かしい学問に志していっぱしの騎士になったつもりで武者修行に出かけて、そうしてつまらない問題ととっ組み合って怪物のつもりでただの羊を仕とめてみたり、風車に突きかかって空中に釣り上げられるような目に会ったことはなかったか・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・またこれは個人の例ではないが日本の昔に盛んであった禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。彼らは見性のため究真のためすべてを抛って坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・盗むにはいろいろ道具もいるし、それに折も見計わなくちゃならない。修行しなくちゃ出来ない商売だ。そればかりじゃないや。第一おれには不気味で出来ねえ。実は小さい時おれに盗みを教え込もうとした奴があったのだ。だが、どうも不気味だよ。そうは云うもの・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修行になるような心持がする。此後も間があったらこういうように考えて見たいと思う。〔『ホトトギス』第二巻第二号 明治31・11・10〕 正岡子規 「句合の月」
・・・蓊助君は、漫画修行による人生観察の過程で、旧套の重荷に反撥して自らを破ることが、新世代にのしかかる圧力を克服することではないことを、既に学んでいるであろう。昨今の世界情勢の中を行く旅行について父藤村氏の「自由主義的慧眼」に希望している希望に・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・ 九郎右衛門、宇平の二人は、大村家の侍で棒の修行を懇望するものだと云って、勧善寺に弟子入の事を言い入れた。客僧は承引して、あすの巳の刻に面会しようと云った。二人は喜び勇んで、文吉を連れて寺へ往く。小川と盗賊方の二人とは跡に続く。さて文吉・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・藁を擣つのは修行はいらぬが、糸を紡ぐのはむずかしい。それを夜になると伊勢の小萩が来て、手伝ったり教えたりする。安寿は弟に対する様子が変ったばかりでなく、小萩に対しても詞少なになって、ややもすると不愛想をする。しかし小萩は機嫌を損せずに、いた・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・この思想の方嚮を一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道である。この方嚮から見ると、少しでも積極的な事を言うものは、時代後れの馬鹿ものか、そうでなければ嘘衝きでなくてはならない。 次に人の目に附いたのは、衝動生活、就中性欲方面の生活を書く・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・度々同じ事を話すので、次第に修行が詰んで、routine のある小説家の書く文章のようになっている。ロダンの不用意な問は幸にもこの腹藁を破ってしまった。「山は遠うございます。海はじきそばにございます。」 答はロダンの気に入った。・・・ 森鴎外 「花子」
・・・彼は色道修行者のように女の享楽を焦点として国々を見て歩くのではない。また彼は美術史家のように、ただ古美術の遺品をのみ目ざして旅行するのでもない。彼は美しいものには何ものにも直ちに心を開く自由な旅行者として、たとえば異郷の舗道、停車場の物売り・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫